絢爛たる輿は来た時と同様ゆっくりと廊下へと消えていった。
そして、部屋の周りを取り囲んでいた人達もまるで波が引くようにいなくなっていった。



シンシアを見送った後、周りに誰もいないことをミスハルに確認させ、老師は再度私と向かい合った。

「マナ。これ以上この件について探るのはやめてはもらえんだろうか。」

え、今更それですか?
どこか疲れたような老師の声に、他人の領域に踏み込む居心地の悪さを感じながらそれでも納得がいかなくて口を開いた。

「何故ですか?」
「今この状況で王位に関わるゴタゴタが起こればそれこそ内乱が起こりかねん。」
「そんなに不安定なのですか?」

戦後の現代民主主義国家に生まれた私には王位を巡る争いに陥った君主制の危うさなんてわからなかった。
そんなに簡単に国が揺れるなんて想像の範疇ですからない。

「先々代の御代に直系様方の間で王位争いが起こってのう。先代様は異母兄弟様方を粛正なさった。姉妹姫様方は幼い内にいずれも遠国に嫁がれた。先代が王位につく頃に国に残っておったのは同母弟であられる将軍の父君お一人。まぁ、中には先々代の王位争いに破れたのを恨んでいる者もおろう。我が国は強大じゃがそれ故に諸侯が一枚岩とはいかん。」

粛正……っていわゆる処刑だよね?

日本の戦国時代さながらの血に塗れたお家騒動に私は慄然とした。
「曲がりなりにも今国が治まっているのは太后様の政の才故じゃ。しかし、太后が絶大な力を振るえるのも王母という立場があればこそ。もし今王位を主張する輩があれば陛下がいらっしゃらない今、家臣を押さえる力はない。」
つまり太后様がいなければまともに政治が行えないって事だよね。どんだけ不安定なんだろこの国。
むしろ太后様どんだけ凄いのか。

しかし、ならば確かにそんな所に新たな火種を持ち込む行為は歓迎されないだろう。
でも――
「よいかマナ。」
考え込む私をよそに老師はまだ言葉を続ける。
「皆の傷口を抉ってくれるな。」

傷口――その言葉ははっきりと傷の存在を認めていた。
傷、つまり先王の隠し子のことだろう。
図らずも一応の答えが与えられた後、老師は一段声を低め呟くように、諭すように言った。

「何より、全てが白日の下に曝されれば最も傷付くのはお前さんの主人じゃ。それを忘れてくれるな。」










屋敷の前の玄関を掃くマリアさんは近づく私に気付くと破顔して迎えてくれた。
「お帰りなさい。早かったのね。」
「はい。シンシアにとっては久し振りの外出ですから疲れないように今日は早めに切り上げたので。」
当たり障りのない話をしながら、私よりずっと高い位置ににある顔を見上げた。

化粧をして尚、精悍な印象をあたえる私の『主』によく似た顔。

「マリアさん。」
「なぁに?」

「マリアさんが手伝って欲しい事って王家の問題ですよね?」

元はと言えば私が王家のことを探る切欠になったのはこの人だった。
「老師が、直りかけた傷口をえぐるなと。この件で一番傷付くのはリドだって…」
かなりの躊躇はあったけれども真っ直ぐマリアさんの目を見て私は言った。
マリアさんはリドの味方だと思っていた。
そのマリアさんが故意でリドを傷付けるような事を私にさせているのか、それを見極めようと綺麗な緑の双眸を見る。
マリアさんは目を逸らすことなく真っ直ぐに私の視線を受け止めた。

「そうねぇ…直りかけた傷口でも下に膿が溜まっていればそれを出さなきゃいけないでしょ?皮膚を再度裂いてたとえ――多少痛みが伴おうともね。」

マリアさんは膝を折り、私と目線をあわせた。

「陛下がお戻りになり次第全てが明らかになるわ。下に膿を溜めた皮膚にナイフをいれる…じゃないとリドは永遠に直らない傷口を抱えたままだもの。」

「傷…」

リドの傷――?

「私の傷口を治すついでに手のかかる弟分の傷も手当てしてあげようってゆう寸法よ。」

ついでよ、ついでと言いつつ、その声には何かとてつもない重い響きがあった。



「信じて欲しい。『俺』は決してこの国もリドも裏切らない。」




いきなり口調を男のもののそれとしてマリアさんは言った。

途轍もなく真剣な目をして、しかしおどけるように口の端をわずかに持ち上げて。

何故だかその表情に圧倒されて、私は思わず頷いた。

「いい子ね。」
マリアさんは直ぐに何時ものように朗らかに笑うとぽんと私の頭を一つたたいて家の中に入っていこうと踵を返した。


その背中を見やり、声を掛けるかどうかで逡巡する。
その視線の先でマリアさんはゆっくり振り返った。

「あら、ゲイル。」

ゲイルさんがいつの間にか私の後ろに立っていた。

「マリア、マナさん。」
邸は一応王宮の敷地内(と言っても王宮自体が呆れるくらい広いのだが)に建っているものの、城下町に通じる門からも色々な建物からも離れた場所にひっそり建っているせいで殆ど人が来ない。
だから、この辺りは静かな筈なのに、私はゲイルさんの来訪に気付かなかったらしい。
と言うか、全く足音がしていない気がするんですが――

改めてその姿を視界に入れてもまだ存在感が希薄なゲイルさんは柔らかく微笑すると、丁寧にお辞儀をした。

「なんなの?何かあった?」
「あの…リド…マスターはまだ帰ってませんよ?」
「いえ、リドには先ほど挨拶を済ませてきました。」

挨拶?

「え…と…何の?」

ゲイルさんは今、リドの実家の城に他の宮廷魔術師と共に行っている。
王宮では重要な情報が漏れる可能性があるかも知れないかららしい。
だから、最近は王宮にはたまにしか来ない。
と、なると考えられるのは王宮から辞すと言う意味での『挨拶』だけれど―――

今までそんなこと一度もなかったのに。
少し戸惑ったのが表情に出たのだろか。
ゲイルさんは困ったように笑った。

そして言った。
「明日、リヒトへ立ちます。使者を派遣します。それに私が任命されました。」

「え?」

「まだリヒトが本命ときまったわけではありませんが、リヒトのように離れた国の者が黒幕ならばそれは王族である可能性が高い。相手が高位の精霊(ジン)使いであるならば圧力をかける為にも私が適任なのです。」

そりゃ、そうだけど――
でも、本当にリヒトの王族が犯人ならば、犯人がマリードを持っているならば。

「あの…大丈夫なんですか?」

ゲイルさんに勝ち目はない。

「さぁ。しかし、陛下を取り戻すためならばこの命など喜んで捧げましょう。――安心してください。貴女のお兄さんも必ず私がお助けします。」

途端押し寄せるのは罪悪感。
何もしていない私がここでのうのうと守られていて、ゲイルさんが死ぬかも知れない場所に行くというこの現実。

ゲイルさんの目には多分滅茶苦茶に青ざめた私が映っているに違いない。
こんな時でもいつものように穏やかな視線に曝されているのが耐えられなくなって、私は視線を伏せ唇をかんだ。

「…………お気を…付けて。」
掠れる声で、震える声帯からやっとそれだけを絞り出した。

「マナ?」
マリアさんが気遣わしげに声をかけてくる。
そんな声を出されるほど私の表情ひどいですか?

「マナさん。一つお願いがあります。」

「お願い…?」
私はのろのろと顔をあげる。

「…私に…できることでしたら。」
本当に心の底からそう思って言った。
と、言っても私には何もできないのだけれども。
「私がこれから向かうところは少々物騒そうな所に向かうので縁起付けに貴女から祝福をと…」

「祝福?」

少しでも罪悪感を減らそうとする偽善的で自己中心的な考えかもしれないけれど、私は本気でゲイルさんの願いを受け入れたいと思っていた。
しかし、祝福って?

「有り体に言えば口づけを。」
にっこりさらりととんでもない事を言われ、その言葉の意味を理解した瞬間一気に真っ青だった顔に血が上った。
「……はい?」
あれ?今までかなりシリアスな話してたのに何この流れちょっと待って。

「私は騎士ではありませんがね。戦にでる騎士たちは貴婦人から祝福を受けると聞きます。……ご迷惑ですか?」

いや、ご迷惑ではないんですが
――っていうか何でそんな切なそうな顔してるんです?
なんだかどぎまぎした。

「い…いえ…いや、私の国では余り挨拶にキスをしたりそう言うことないんで……」
古き良き騎士道は日本では欧米っていうかファンタジーワールドにしか存在しないもので。
あぁ、ここはそのファンタジーワールドだっけ。
「と言うより私より適任がたくさんいると思うんですが。」
主に映像的な意味で。
シンシアなんかかなりいい線を行っていると思いますよ。

王を救うために旅立つ若き魔術師と彼を見送る美貌の姫君。
まるでおとぎ話の光景そのものだ。

しかし、ゲイルさんは首を横に振った。
「貴女が良いんです。」

思わずはっとなった。
そこまで頑なにゲイルさんが私なんぞに拘る理由に気が付いたからだ。

私が、元精霊王(イブリース)だからだ。

かつての私はゲイルさんではどうやっても叶わないマリードに対抗しうる存在だったのだ。

――けれど今は――

「……わかりました。」

気休めにしかならないでしょうけど。
これでゲイルさんが少しでも楽になれるならば慣れない行為に伴う羞恥心など私は黙殺しなければならない。

ゲイルさんが膝を付いて頭を垂れ緑の瞳は閉じられた。
私は全身全霊の祈りを込めて呟いた。

「……どうか、無事で…」
さらさらと銀髪の滑る額にそっと口付ける。
誰かにキスをするのは生まれて二度目の経験だった。
一度目は誓いを二度目は祈りを。

こめかみが痛くなるほどに込めた思いはけれど何の力も生まない。

「ありがとうございました。」
目を開けたゲイルさんはいつものような笑顔のまま丁寧にお礼を言ってくる。
「いいえ…私は何も出来ませんから。」
私の祝福がゲイルさんを守ることは万に一つもないだろう。

「マナさん。私は貴女からの祝福が欲しかったのです。」
女のように優美な指が再度俯いた私の肩に添えられる。

「そのことを、忘れないで下さい。」

「…え?」

「もし私がリヒトから無事に戻れたら…お話したいことがあります。貴女に知っていて欲しいことがあるのです。」
ゲイルさんがそこで覗かせた笑顔がいつも標準装備している物ではなかったせいで私の心臓が一つはねた。




*****




「何企んでるのよ?」

マリアの声は面白がっているようにも聞こえ、ゲイルシュターは片眉を少し持ち上げて答えた。

「何を…と?」
「さっきのよ。さっきの。アナタいつから幼女趣味になったの?」
「失礼ですね。聞けばマナさんは姫と同い年と言うではありませんか。年齢的な問題はないかと。」
「あら、あの子そんな年だったの?!」

見えないわ〜と嘯く古なじみの顔を横目で見遣りゲイルシュターはきっぱりと告げた。
「邪魔…しないで下さいね?」
「あの子がリドと契約していると知った上での発言よね?」

ゲイルシュターの口の端が歪んで笑みの形を作った。

「勿論です。しかし――魔術師と精霊(ジン)の契約の基本は魔力に則ったものですから…ねぇ。」
言外にリドワーンとマナの契約の正当性を否定しつつゲイルシュターは微笑う。
「ホンと…マナに言った舌の根が乾かないうちによく言うわ。」
「マナさんを呼び出した魔法陣は秘宝中の秘宝ですからね。それを使えるのもそれから出てきた精霊王(イブリース)と契約できるのも王家の血をひいた物のみですが。」
「人としてならば関係ないってことね。」

マリアは深くため息をついた。




******





「マナ…マリアはどうした?」
ゲイルさんを送りに出たマリアさんが帰ってくる前に屋敷の扉を開け私がいる食堂に顔を出したのはいつも通りに眉間に皺を寄せたリドだった。

「ゲイルさんを送ってった…」

そうか、とだけ言ってリドはそのまま踵を返して食堂から出て行こうとする。
「――どうした。」
しかし、その拍子に偶然あった視線に足を止めると眉間の皺を一層深いものにした。

「死にそうな顔をしている。」

不機嫌そうな声と共に告げられた声に、苦笑が漏れた。
確かに私は今正しく死にそうなのだ。
もし、自己嫌悪で死ねるならば私は今頃即死している。

「ゲイルさん、無事に帰って来れるかな?」
ぽつりと投げられた質問にリドは答えない。
元々、返答など気にしていない。


私はゲイルさんを止めなかった。
ゲイルさんが行かなければお兄ちゃんが返ってこないから。


私はお兄ちゃんとゲイルさんを天秤にかけた。


何様なのだろうか、私は。

ふと、視線を壁に移した。
そこには私が以前綴ったメモが額縁に入れられて掛っている。
漢字とひらがなの形を気に入ったマリアさんの手によるものだ。

本当はその内それっぽい格言でも書いて差し替えようと思っていたけれど結局そのままにしている。

箇条書きされた文字列の一番下の汚く線でつぶした部分が嫌でも目に入ってきた。

「……吐き気がする。」

自分の身勝手さに。

「我が身かわゆさに私はゲイルさんを切り捨てようとしている」

「……ハルの為なのだろう?」

全然そうは聞こえないけれど多分私を労わろうとしている相手に力なく微笑んで見せた。
違うんだよリド。私は卑怯なんだ。
自分では何も差し出そうとはせず、ただ気に食わないことに泣き叫んでるだけなんだよ。
しかも、それを自覚してあえてそのまま放置しているから性質が悪い。


ごめんなさいと、心の中だけで呟いた。




それで全てが解決する。
それで皆とは言わないけれど――私が幸せになってほしい人たちは皆救われる。
けれどそこに私は居れないから、私はその方法をとらない。
潰された最後の一文。
そこに記された言葉。



Copyright (c) 2008.06.18 All rights reserved.