stray
02
目を潰されるかと思うほどの光が収まった。
どこか懐かしい臭いのする空気を肺一杯に吸い込むと勢い込んで当たりを一瞥する。
だだっ広い部屋には男の人が二人いた。
二対の眼は大きく見開かれ呆然と立ち尽くしている。
私は口を開く。
といっても第一声で私が此方に来た唯一にして最大の用件は伝え終わってしまっていた。
だから今喉元からせり上がってこようとしている言葉はここ最近昼夜のべつまくなし人のプライベートを侵略した相手に対する取り留めのない不満であり、また彼らの目的は私である以上お兄ちゃんの召喚は失敗であり直ぐに私を召喚し直そうとするであろうと言う読みの斜め上を行ったことに対する苛立ちなのだが。
済みません、どこのどなた方だが存じませんがいい加減シャンとしてください本気で言いたいことがいっぱいあるんで。
「貴女は…」
二人の内細い方が先に立ち直ったらしい。
長くて夜色のローブ、身に着けた装身具達と杖。
「あなたは魔術師ですね?」
確信をもって尋ねると柳眉を寄せながらも戸惑いがちに頷かれた。
「兄が此方でお世話になっていると思うので迎えにきました。」
もう一人は見るからに武人風のガタイもよくて上背もある男だ。
二人とも無駄に顔が整っている。
タイプは違うが確実に二人とも美形である。
が、こちとら十七年間万人が認める美形の妹をやっている身。
外見には惑わされずただ二人とも自分より年上(見慣れた日本人の顔立ちではないので多少憶測は入るが)だと言うことのみを認識し取り敢えず敬語で話し掛ける。
「お前が…」
デカい方も立ち直ったらしい。
私の質問を無視して尋ねてきた。
質問に質問で返すなと教わらなかったのだろうか。
「お前が精霊王(イブリース)か?」
「そう呼ばれていた事もあります。が、今はこことは違う世界で一般人をやってますので今の私にはあなた方が期待するような力は全くないことを先に申し上げておきます。あなた方のご用件は存じ上げませんが生憎私も――当然兄もご期待に添えるとは思えません。と言うわけで可及的速やかに私と兄とを元の世界に送還してください。」
今までの怒りを込めて突っ込む暇がないほど早口でまくし立ててやった。
反論も質問も一切受け付けたくない。
ぶっちゃけ一刻も早くお兄ちゃんを連れて帰りたい。
今が私のいた時代とどれ位違うかはわからないけれど丸腰で歩くのが当たり前、寧ろ一般人が武装してたら牢獄か病院に入れられる現代日本より安全で平和では無いことは確かなのだ。
大体此処ではお伽話の類にまで存在が風化しているであろう私を喚んで何かさせようとした時点できな臭さは隠しようがない。
あぁやだ。
絶対関わりたくない。
絶対関わるものか。
大体お兄ちゃんさえ此方に来なければあとたっぷり千年間はこの世界には関わらないつもりだったんだ……それもこれも精霊の召喚式を異世界人に作用させる程雑に作ったあの魔術師が悪いんだ。
思考が暴走して来るに連れ怒りがこみ上げてきた。なんかもう敬語使うのが面倒臭い。
「精霊王(イブリース)?」
「何よ?」
あ、やば。
………ま、いっか。
どうせ直ぐにお別れして二度と会わないし。
魔術師さんはこちらの心中を見透かすかのように苦笑する。
何ですかその我が儘な子を見るような目は。
暴走気味の自分を宥めるためにも私は一つ深呼吸した。
「別に無理して敬語は宜しいですよ精霊王(イブリース)。」
別に無理なわけではないです。
目上に対する態度くらいきちんとしつけられてます…怒りで出来てないだけです。
「……今の私はジンでもなんでもないです。多分この世界の同年
代の少女と同等の知力と――むしろそれ以下の筋力しかありません。」
まあ、機械化の進む現代社会に住んでるからね。
情けないが仕方あるまい。
「だがお前は精霊王なのだろう?全知全能と歌われた。」
「確かにこの魂はかつて此処で精霊王と呼ばれていました。が、今の私はその頃の記憶もなく力も全く使えません。一応召喚された時に混乱しないように自分と此方に対する最小限の知識しか私は持ってません。」
この世界に無数に存在する精霊(ジン)、細かく階級分けされた中の最上位『マリード』さらにその中でもほんの一握りに与えられるのが『イブリース』の称号。
かつての自分がそれだったと言われても私には最早実感すら持てないし私にとって記憶ではなくただの知識にしか過ぎないのだ。
今の私は――本当にただの人間なのだ。
「では、名は?なんと呼べばいいか?」
大男が尋ねてくる。
最初に自分から名乗れと思ったが話の円滑化の為に名乗った。
姓は要らないだろう。
「真名です。」
「了解しました。人として扱えと仰るならマナさんとお呼びしましょう。私はゲイルシュター・ブラッハーと申します。ゲイルで良いですよ。一応宮廷付魔術師の端くれです。」
宮廷という言葉が聞こえた途端私は露骨に顔をしかめてしまった。
ゴタゴタはどうやら国レベルの物らしい。
「あの…本当に一刻も早く帰りたいんです…私達を送還していただけませんか?」
本当にこれ以上関わりたくなくて些か強引に話を進めるとゲイルさんは心底困ったように笑った。
笑顔がデフォルトの人らしい。
「しかし、送還出来るのは召喚した本人だけですから…」
言われた台詞に今度は私が困る。
「私達を喚んだのはあなたではないんですか?」
するとゲイルさんは傍らの大男に何かを伺うように少し視線を合わせた。
大男はそれを受けて口を開く。
「お前を喚んだのは俺だ。」
「でも…あなたは魔術師では…」
「あぁ、違う。俺には魔術の素養はこれっぽっちも無い。だからゲイルに手伝ってもらった。」
「じゃあ…あなたが…」
「それに加えややこしいのはお前の兄貴を喚んだのは俺じゃないってことだ。いいか、お前の兄貴の召喚主はこの国の王だ。」
情報を小出しにしたりせずさっきの私のようにその人は一息に言ってのけた。
王――最悪だ。
ならばお兄ちゃんはこのゴタゴタに既に深く関わっているかもしれない。
お兄ちゃんならありえる。
「――王様に会わせてください…」
ヤケクソ気味に言うと二人の視線が再度交わる。
二人は何か無言の内に相談を交わす。
「だが…」
「マナさん。」
大男の言葉はゲイルさんによって遮られた。
何ですか今ので意志の疎通ができたんじゃないんですか。
ほらゲイルさん、なんかスッゴい怖い顔で睨んでますよその人。
だけどその恐ろしげな視線にたじろぐことなくゲイルさんは華やかに笑う。
多分この人は大物だ。
「今日のところは無理ですと申し上げておきましょう。ご存じ無いでしょうがこの国は大陸有数の大国なのです。その王ともなれば早々簡単にお会いできる筈もない。」
あぁ、しかもこの国は大国なのですね。
大国を揺るがすような問題に私は巻き込まれつつあるんですね…正直泣きそうなんですが。
「おい、ゲイル…」
「と言うことで今夜は取り敢えず彼の――貴女の召喚主の所へ。」
「おい!!」
「五月蝿いですよリド。召喚した以上この方への責任は貴方にあります。陛下はそこをきちっとなさってるのに臣たる貴方がその体たらくでどうするんですか?」
斬って捨てるようなゲイルさんの言葉にこっそり私は安堵した。
お兄ちゃんはきちんと扱われている――お兄ちゃんは無事なんだ。
「マナさん。彼はリドワーン。リドで結構です。」
お前が勝手に許可を出すなとブツクサ言いながらリドさんは私を見やった。
「簡易の寝具と食事を此処に運ばせる。もう大体察しはついてるだろうがここは王宮内だ。勝手にこの部屋をでるなよ。」
もの凄い素っ気なくそれだけ言い残しリドさんはゲイルさんを連れて部屋を出ていってしまった。
何もない白くて大きいだけの部屋に取り残された私はそれでも待遇の悪さに怒る気にもなれずその場にしゃがみ込んだ。
安堵が怒りに勝ったのだ。
この一週間澱のように心の奥底で暗くたゆたっていた不安が、お兄ちゃんがもしや既に死んでいるのではないかという不安が少しだけ軽減されたのだ。
明日こそ、明日こそ会おうと一人誓う。
そしてこんな事に、いきなりの異世界トリップなんかに巻き込んでしまった事を謝るのだ。
あぁ、でもきっと、たとえどんなに酷い目に遭ってたとしてもお兄ちゃんは私の頭をかき混ぜながら気にするなって笑うだろうけど。
「ゲイル、本当にあれは精霊王(イブリース)か?」
深夜、人払いした部屋の中でリドワーンは友であり魔術師である男に尋ねた。
「…恐らくは。」
「ハルの時みたいに只の娘を喚んでしまった可能性は?」
ゲイルシュターはリドワーンの言葉にかぶりをふった。
「私もまずそれを疑いました。彼女から魔力はかけらも感じられない――何より彼女の性格は余りに人間的過ぎる。」
「ならば…」
「キミーがね…出てこなかったんです…」
「何?」
ゲイルシュターの細い指が彼が身につける装身具の中で一番豪奢なそれに触れる。
「あの場で、彼女の前で私は密かにキミーを喚びました。確認を取りたかったんです。しかし召喚主である私がいくら呼んでも出てこなかったんです。あの後王都からだいぶ離れた所まで馬で行ったのですがそこでやっとキミーだけ出てきた。他の子はそこでも出てきませんでした。」
リドワーンの顔色が変わる。
「アガシオンが主人に逆らったと?」
「キミーは酷く怯えて何も言ってはくれませんでした……第二級のジンが…イフリートがですよ?!」
二人の間に重い沈黙が落ちた。
二人はそれぞれに今猛烈に考えを巡らせている。
「…彼女の申告通り彼女は今は只人です。恐らく本当に何の力も使えな
い。しかし、彼女はそれでも今もなおジン達に影響を与え続ける…使い道を間違えれば国が滅びます。精霊王(イブリース)とはそう言う存在なのです。陛下が…喚び出そうとし…我々が喚び出したものは…」
ゲイルシュターは二度目の長い沈黙の後口を開いた。
その目にはランプの光を受けて昏い決意と悲壮な色が同時に映し出されていた。
「仕方ありません…ならば…」
そうして夜は更ける。
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