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04
「と、言うわけですリド。精霊(ジン)と人用の契約を結ぶわけにもいきませんし、ここは人間どうし用の主従契約で良いでしょう。」
「あの…具体的にどうすればいいんですか?」
「そうですね…とりあえずば誓約書を書いていただきましょうか。それから口頭で誓っていただきます。」
なにやら仰々しいし本格的だ。
まぁ私はどうせ代替え案がないからゲイルさんの提案に反対なぞしないけど。
でも問題点があるにはあるから一応言っとくかな。
「あの…私こちらの字多分書けません。」
こんな異国情緒溢れる世界での文字がまさか漢字&かなって事はまさかないだろう。
それを言えば言葉も世界で有数の習得が面倒臭い我が母国語が通じてるのが謎なんだけどね。
その辺は異世界トリップをも可能にする世界だからオート翻訳機能が付いていると思うことにした。
これで実はお兄ちゃんは言葉通じないってオチは無いと信じたい。あぁ、でも万が一そうだったらどうしよう…言葉も何もわからない世界に一人ぼっちなお兄ちゃんを想像して何だかいてもたってもいられなくなってきた。
「誓約書は私が作りますのでマナさんはそちらの世界の文字で名前だけ書いていただければ結構ですよ。」
ゲイルさんは小さな子供をみる大人のような微笑みを浮かべている。
馬鹿にしてるって訳じゃないけど仕方がないなぁって感じの微笑みだ。
でも何だろうそれだけではない気がする。
「折角だからきちんとした紙に書きましょう。リド紙を出して下さい。」
「…あぁ。」
リドさんは部屋の真ん中に置かれた立派な机から紙を取り出した。
こちらも見るからに高級そうな金箔で箔押しされた細かい模様で縁取られた紙――多分羊皮紙だろう、始めてみた――をゲイルさんに手渡すとゲイルさんは机の上にあったインク壷と羽ペンをつかって何やら文字をを書き連ねていく。
それはやっぱり日本語じゃなかった。
むしろそれ自体が模様であるような綺麗な筆記体だ。
英語ではない。
もしかしたらあっちの世界にもこういう文字を書く国があるかもしれないけど、私には判別がつかなかった。
さらさらと複雑で華麗な模様のような文字を書きおわったのかゲイルさんは顔をあげる。
「さあ、ここに名前を。」
指し示された余白。そこで私は私は羽ペンを手にふと一瞬固まる。
「…あの、これなんて書いてあるんですか?」
契約書を読まないでサインなんてカモって下さいと言っているもののような気がした。
現代社会に生きる者としての危機察知能力がはたらいたのかもしれない。
「…まぁ、一般的な主従契約の内容ですよ。」
答えるまでの一瞬の間。それが怪しく思える。
疑惑は不信を呼んでしまう。
それ以前に一般的なと言われても私はその『世間一般』を知らないのだ。
私は嫌な予感を抑えることが出来なかった。
気のせいならばそれでいいけど、気のせいじゃなければ事は重大だ。
私が巧く立ち回らなきゃお兄ちゃんが危険な目に遭うかもしれない。
それだけはさけなきゃいけない。
うん、仕方がない。
騙すようで気がひけるけど背に腹は代えられないし。
『名無権兵』
と私は紙に書いた。
騙すよう…と言うより完璧に詐欺状態である。
綺麗な誓約書にかかれたその文字は名画に描かれちゃった子供の落書きのようでかなり滑稽に見えた。
リドさんも続いて名前(多分)をサインした。
「では誓句を…」
「ゲイル、俺もお前も今忙しい。後は夜にでもやるから仕事をしろ。」
ゲイルさんの言葉を遮りリドさんが言う。
「そうですね…でもキチンとなさって下さいよ。」
ゲイルさんが同意するとリドさんは私に視線を向けた。
「行くぞ。」
短く言い放たれた言葉に答える間もなく急いで後を追う。
二度目の長い廊下では偶に人とすれ違った。
皆リドさんを見ると廊下の端にいって歩く私達に深々と頭を下げてくる。
リドさんよりずっと立派な身なりをした人たちもだ。
でも私につきささる視線はそんな人の横を歩いているからだけではないのだろうな。
セーラー服というこの国…というかこの世界に置いて(いや、向こうのせかいでも立派な宮殿に制服姿の女子高生はいないが)浮きまくっている服のせいで皆が皆、怪訝な、もしくは好奇の視線を注いできて大層居心地が悪かった。
似たような角を何度も曲がるにつれ人は多くなってくる。
その内建物を出てしまってもリドさんは一度も振り向かなかったし一言も喋らなかった。
「あの…」
ついに沈黙に耐えかねて声を上げる。
「もうすぐだ。我慢しろ。」
斬って捨てるような言葉が帰ってきた。
それに従ってまた暫く歩いていると一度は増えた筈の人通りがへってきて遂には自分達の足音しか聞こえないほど静かな場所にたどり着く。
木々に囲まれた石畳の道を踏みしめてリドさんは一軒の家の前に立った。
散々豪奢の極みのような宮廷の中を歩き回って来たせいで価値感覚が狂ってしまって無ければきっと『豪邸』と迷わず評するのに相応しい立派な家だ。
ここが目的地…なのかな?
「着いたぞ。」
ドアノブに手をかける前に扉が開く。
扉の内側のマリアさんは私をみて少しだけ目を見開いた。
リドさん程じゃないけどそれに並ぶほどの長身とがっしりした体躯が侍女の服を来て入り口を塞いでいるのはすごい圧迫感がある。
「今日からコイツも此処に住む。部屋と服を用意してやってくれ。」
「はいはい。今日のお仕事は終わりなの?」
「こんな日も高いうちから休めるか、これを置きに来ただけだ。明日からは仕事中も連れ歩くことになるだろうがこんな奇妙な格好をした奴を人前に出すわけにもいかないからな。」
「わかったわ。じゃあ今日中に服を見繕っておくわね。いってらっしゃい。」
私を全く無視した私に関する話が終わったらしい。
一度だけ私をちらりと見たリドさんはそのまま家の中に入らず踵をかえして来た道を歩いていった。
残された私はどうすればいいか困ってしまい、リドさんを見送っていたマリアさんを見上げた。
にっこりと笑みを返される。
「さて、改めまして私はマリア。今日からこの家で一緒に暮らすことになるわけね。」
「あ…真名です。」
「触りしか話は聞いていないけど、貴女滞在予定はどれくらい?」
ハキハキと喋る人だと思った。
その上表情も明るい。
見た目のインパクトが強すぎたが、その衝撃さえ過ぎればとても気持ち
いい感じの人だ。
「兄が戻ればすぐにでも帰りたいんですが…なんか無理っぽいんで…暫くはお世話になります。」
「了解。ここを自分の家だと思ってちょうだい。同じご主人様に仕えるものどうし仲良くしましょう!!」マナって呼んでいい?そう言って満面の笑みを浮かべた。
鼻筋はきちんと通っているし、切れ長な目といい、きれいな青の目といい……この人化粧おとしてきちんとした格好すればかなり美形さんかもしれない。
『中性的に整った』顔じゃなくて『男性的に整った』顔だから化粧しても一目で女装だと丸わかりだし死ぬほど似合わないけど。
なんだか凄く勿体無い気がする。
「取り敢えず服ね。適当に見繕ってくるわ。なんかリクエストある?」うーん…リクエストと言われてもこちらの服の流行など全くわからないし。
「露出の少ない物だったら何でも良いです。」
「じゃあ、私買ってくるわ。」
買ってくると言う言葉を聞いた瞬間私は硬直した。
「あ…でも…お金が…」
いくら言葉が通じたとしてもまさかお金が一緒ってことはあるまい。
そしてどうせ関係ないがお金が一緒だとしても服を一式買えるほどの金額は財布には入っていない。
「良いのよ別に気にしなくても。あの人使わないくせに結構貰ってるし。」
「でも…」
リドさんのお金なら尚更本人の居ないところで勝手にはいかないのでは無いのだろうか。
「服の用意を命令したのは彼よ。大体家計簿握ってるのが私なんだから誤魔化そうと思えば幾らでも出来るわ。」
豪快に笑ったマリアさんはちょっと待っててねの言葉通り直ぐに帰ってきた。
手渡されたのは淡いブルーのワンピース。
手触りが良い生地の襟元には細かな刺繍が施されている。
――見るからに高そうだった。
文句なしに可愛い。
セットで渡された丈の短い上着と着れば私の身長の低さをカバー出来そうな素敵なコーディネートだ。
日本で見つけたらお小遣い節約して頑張って買いそうな位に。
でも高そうだった。
出来るだけ返せない借りは作りたくないのに。
ただでさえ衣食住を保証して貰っている上にこんな高そうな服まで。
他にも何着もの服や小物達。
みんな可愛いくて高そうなと形容詞がつくわけだが。
あの短時間でよくこれだけ揃えられたなぁと妙な所で感心しつつマリアさんにせがまれて(この人はおねだりがとっても上手いことが判った)買ってきた服でファッションショー紛いのことやるはめになった。
リドさんは日が落ちて暫くすると帰ってきた。
マリアさんが夕飯の支度をするために席を外す。
リドさんは椅子に座ったまま着替えた私を一瞥するとさしたる興味もないようでふいと視線を外した。
ここは何か一言在るべきだと思うんだけどリドさん。
卸したての服を着た女の子を前に失礼な人だ。
「服、買っていただいて有り難う御座いました。それと…暫く御世話になります。」
が、幾ら失礼な人が相手とはいえこちらが礼を失うわけにもいかず私は素直に頭を下げた。
「そうだな…誓約書に偽名を書くような奴相手に寛大にも程がある。」
ばっと弾かれたように頭を上げる。
昼間の誓約書の件だと直ぐに気づく。
ばれてた?!
そしてリドさんの顔を見て思わず一歩後ずさってしまった。
冷たい――酷薄そうな薄い笑み。
居心地が悪いなんて物じゃない今すぐこの場を離れたい衝動に駆られる。
一気に飲まれかけた私はそこでハッとして己を奮い立たせた。
駄目だ。
私の行動如何でお兄ちゃんを助けられるかが決まるのだ――負けられない。
「…それはこっちの台詞です。あの誓約書の内容はなんですか?」
強い調子で詰るように言えばリドさんは途端にバツの悪そうな表情をする。
「…お前実は字が読めるのか?質が悪い。俺達は試されたって訳だ。」
真っ直ぐこちらを見ていた視線が外される。
とたん私は強く強張っていた体を弛緩させた。
私に原因があるとはいえ、洒落にならないほど怖かったなぁ。
精神まで弛緩してしまったのかのろのろと首を振りへにゃりと笑ってみせた。
「いいえ。」
そのまま私は質問に正直に言葉を返した。
「は?」
「読めません。カマ掛けてみただけです。」
本名を書かなかったのは勘だったが私の勘もそう馬鹿にされたものでは無いらしいことをリドさんの反応が教えてくれていた。
呆気にとられたらしいリドさんが肩を僅かに震わせた。
ヤバい、今度こそ怒らせたかも…。
しかし予想に反してリドさんは直ぐに脱力すると自嘲と苦笑の混ざった表情を浮かべた。
「…一杯食わされたな。やはり精霊(ジン)相手にブラフはかませないな。」
いや、今の私は精霊(ジン)じゃないんですってば。
まぁ、訂正はいいか。
「すみません。」
二人の間に流れる空気は騙そうとした者と騙されかけた者に流れるものにしては和やかすぎる物だった。
お互いバツが悪くて仕方ないのだ。
「どうして偽名だと?」
「勘だよ。俺もはったりかましただけだ。まさか返されるとは思わなかった。」
くつくつと喉の奥で笑いつつリドさんが言う。
「だが今日ゲイルが言ってたのは本当のことだ。きちんと契約しなければお前を此処には置けん。今朝の奴にはそれこそ絶対の服従がどうとか命を賭してとか書いてあったが――それは嫌か?」
契約については私も納得している。
只、内容はある程度譲れないだけで。
「私が望むのはお兄ちゃんと無傷であちらへ帰ることです。その望みに違わないなら別に内容は気にしません。」
この望みの性質上絶対の忠誠とか永遠の献身とかは無理だがそれ以外ならば色々お世話になるのだからできる限りはしたい。
だから私は今朝のお詫びと服のお礼もかねて精一杯礼儀正しくリドさんの前に膝を付いた。
「お兄ちゃんの安否に関わらない限りあちらに帰るまで私はあなたを絶対に裏切らない――そういう契約じゃいけませんか?」
「いや…ゲイルは色々言うかも知れないが俺は構わん。」
色良い返事に私はホッと息をつく。
そしてふと思いついた行動を実行に移してみることにした。
「じゃあ――」
こちらの作法で間違っていないことを祈りつつなんかの少女漫画みたいに恭しく私のよりずっと大きくてゴツゴツした手をとると甲に口付け、宣誓した。
「あなたに制限付きの忠誠を――召喚主(マスター)」
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