stray

05


妙な雰囲気で盛り上がって手の甲に口付けなんぞしてはみたものの私は直ぐに居たたまれなくなった。
何だか蕁麻疹とか出そうかも――やっぱりキャラじゃないことはやるべきじゃないね。
勢いつけて立ち上がり大して汚れてもいない膝の汚れを払うフリをした。
「ゲイルのことだが――」
「ゲイルさんがどうかしました?」
リドさんが心底呆れた顔をする。
「誓約書だ。」
そこまで言われてやっと検討がつく――そう言えば私騙されかけていたんだ。
自分の行動に手一杯で忘れていた。
カマをかけるのも誰かの手にキスをするのも初めての経験だった。
うわ、今更赤面してきた。
振り返ればいつもは小心者で奥手な私にはあるまじき行動だ。
どうやら異世界の雰囲気に知らず知らずテンションを上げていたらしい。
こういうのをトラベラーズハイって言うんだっけ?
「出来ればアレを悪く思わんでやってくれ。アレはアレなりに色々案じているのだ。」
分かってくれと言われても何を分かれば良いか分からないんですが。
私は少しだけ首を傾げて見せた。
「言っただろう?陛下を拐かしたのは精霊(ジン)で在る可能性が高い。ならば責任は陛下の護衛を任されていた者たちよりも宮廷付き魔術師たる奴達にある、とゲイルは考えているんだろうな。」
「責任を感じているってこと?」
「それもあるがゲイルは陛下を拐かした者が奴より高位の精霊(ジン)を従えていることを案じている。ジンの力の差は絶対だ。元精霊王(イブリース)を手元に置いて安心したいんだろう。」
「今は何の力のもない人間でも?」
精霊(ジン)がどれだけの力を持っているか私は知らない。
でも自分には今何の力もないことは知っている。
リドさんがじっとこちらを見つめてきた。
灰色がかった緑色の双眸が金茶の髪の下で僅かに細められたのが見える。
私はその表情が何を意味するかを図りかねて眉根を寄せる。
「…ええっと…マスター?」
黙ってしまった相手に呼びかけようと言い慣れない単語を口にすると余程辿々しく聴こえたのか苦笑を返された。
途端、先ほどまでの正体不明の表情もなりを潜めてしまう。
「リドで良い。敬称も敬語も必要ない。」
「…でも」
一応暫定的とはいえ主従関係を結んだんだからせめて外面だけは整えて置いた方が良いんでは無いだろうか?
私には忠誠って感情の概念がイマイチわかっていないから形ぐらいはキチ
ンとしないと主従関係の実感湧かないような気がする。
「構わん。お互い肩が凝るだけだ。」
私としても、一応きちんと目上の人には敬語をという躾は受けているもののやっぱり敬語を使うのは気を張らなきゃならなくて大変だから有り難いっちゃ有り難い。
ボロが出る前に(召喚されて直ぐにゲイルさんに対して出してしまっているけど)止めといた方が無難かも知れない。
「わかった。」
一回り以上年上に見える大人の男の人にタメ口って少し違和感があるなぁ。
けれども素の話し方に戻せばリドは鷹揚に頷いた。
「ゲイルには誓約書に偽名を書いたことを黙っておけ。ややこしくなるからな。」
私が一つ頷いた時
「リド?マナ?夕飯が出来たわよ。」
マリアさんが呼びに来たので私達はそろって食卓に着くことになった。
そう言えば、マリアさんも外では『将軍』って呼んでいたけど家では『リド』と愛称呼びだったことを思い出した。


こちらの料理は大皿から各々自分の取り皿にとる形式らしい。
見慣れない料理だらけだったがどれもとても美味しかった。ただ食事中もふと箸(スプーンだけど)が止まってしまう。
「どうしたの?美味しくない?」
マリアさんが心配そうに私の顔を覗き込む。
「いいえ!!とっても美味しいです。」
――元々美味しいものを食べる度に『お兄ちゃんにも食べて貰いたいな』と言って人に呆れられるのが私の習慣になっていた。
今私は運良く異世界で快適な衣食住全てにありつけているけれども――お兄ちゃん、キチンとご飯食べれてるかな。
怪我とかしてないかな。
ご飯が美味しければ美味しいほどお兄ちゃんが心配になる。
ただ、この不安を此処で吐露するわけにはいかなかった。
リドたちもまた王様が行方不明なんだから。
同じように不安な筈だから。
「そう?一杯食べてね。何時もは2人しかいない食卓だから一人でも多い方が賑やかで良いわ。」
「2人だけなんですか?」
こんなに広い家なのに。
「色々あるのよ…色々ね。」
何やら意味深な言葉をいってマリアさんは遠い目をする。
一寸迷ったが詳しく聞くのは止めておくことにする。
これ以上のやっかい事に深入りする気はないし。
話題を変えるべく私は私にとっての最重要案件を口にした。

「お兄ちゃん、こちらでは上手くやってた?」
「知らん。」
食事の手を止めたリドがにべもなく答える。
って言うか知らないって何を無責任な。
「お前の兄は後宮(ハレム)にいたからな。あの場所には男は基本的に王と王の直系しか入れん。事情が事情だったし何より陛下の御希望で特例が適用されたからお前の兄はそこで寝起きしていた。」
うーん…少し困ったかも。
是が非でもって程ではないが出来ればお兄ちゃんが此方でどんな風に生活していたか話を聞きたかった。
「今更聞いてどうする?」
リドが怪訝そうに問うてきた。
なんか、過去にこだわってどうするオーラが物凄く醸し出されている。
わかっていないなぁ。
全くわかっていない。
「お兄ちゃんがこの世界の食べ物とか水とか合わなくてお腹壊していたら嫌だもん。あと王宮の人達に不当な扱い受けてたら許せないし。あと…」
「もう良い。もう良い。」
リドは片手を上げて言葉を遮った。
「前半は兎も角後半の心配はない筈だ。陛下が常に気にかけておられたらしいからな。」
私はその言葉にあからさまにむくれて見せた。
「なにが大丈夫なのよ?」
「は?」

「だって正体不明な人がいきなり現れて王様が常に気にかけてたんでしょう?!表立ってはなくても裏で色々言われてたに決まってるじゃん!!…うわ、想像したらムカついてきた。」

お兄ちゃんに陰口なんて似合わない。
それを言っている人がいるならば私は丑の刻参りをしてでも是非に復讐したいところだ。この世界には神社も藁人形もないから(いや藁人形なら作れるかも)実現は不可能だが少なくとも末代までは祟らせて貰う。
「お前なぁ…」
「お兄ちゃんのことをよく知らない人がお兄ちゃんを悪く言うなんて絶対許せない。」
ぐっと拳を握って言った。
リドは完璧に呆れ果てた様子で此方を見ている。
「まぁ――今後宮(ハレム)にはほぼ女官しかいないはずだし……大丈夫でしょう。ねぇ、リド?」
マリアさんが傍らに座るリドに確認を取る。
私はその言葉に引っかかりを感じて突っ込んでみた。
「女官だけって…王様の奥さんとか子供とかいるんじゃないんですか?」
地球でのハレムの定義とはそう言うモノだったはずだけど。
「先代が崩御されたのは今年の頭、まだ喪中だからな。年齢と時期から言ってまだ后を召されていない。」
「年齢?」
「今年で十七になられる。姫ならば兎も角王子ならば後二、三年は結婚なさらなかっただろうに。――まぁ王位を継がれた今、喪が明け次第どこぞの国の姫を娶られるだろうな。」

――突然だが私の中で王様とはありがちなビールっ腹で白い口髭生やしてて赤いマントと白タイツを身に付けた丸顔のおっさんのイメージだった。
笑い方はふぉっふぉっふぉっ。
否、それはどうでも良いが……まさかのタメ年ですか?
私が一国を背負う事になったらと益体もない想像をして身震いをした。
怖い、ってゆうか無理。
「『正式な』王族はあと先王の正妃で現王の母后様と陛下の双子の妹姫だけよ。他は女官だけだから男の子がいたらモテモテね!!」
冗談じゃない。
「……それはそれで嫌です。」
私の心底嫌そうな感じが顔に出ていたのかマリアさんは声をたてて笑った。
「マナ」
リドが私の名を呼ぶ。
「明日からは軍の訓練に付いて来い。時間が余れば陛下付きの女官に話が出来るように取りあってやる。」
「ホント?!」
「但し後宮に入るには王族――主に王母アーデルヒルト様のお許しがなければ入れんから諦めろ。」
「わかった…けどお兄ちゃんと会ったりしてるかな?そのお妃様とかお姫様。」
「さあな。アーデルヒルト様は兎も角シンシア姫はどうかな…」
「何で?だって双子の王様はお兄ちゃんと一週間も一緒にいたんでしょ?会わないの?兄妹なのに。」
私はお兄ちゃんが外泊に出ているとき以外は毎朝起こしに来て貰って一緒に朝食を食べ、毎晩お休みの挨拶をするためにお兄ちゃんの部屋に行く。
兄妹で一週間も全く顔を会わせないなんて有り得ない。

「一週間?」

しかしリドは私の質問ではない箇所に反応して怪訝そうに眉をしかめた。
「お前の兄貴がこちらに来たのは一月前だぞ?行方不明になったのは三日前で。」
は?
でも私がこちらに喚ばれたのはお兄ちゃんがいなくなってから丁度一週間目の筈だ。
一日千秋どころか一日億秋の思いで魔法陣の出現を指折り日にちを数えながら待っていたから間違い無い。

あちらとこちらでは時間の流れ方が違うんだ――。

「って事は一寸待ってよ。」
時間の流れの速さが違うことは誰のせいでもない。
だからそれについてはなにも言わない。
だが
「お兄ちゃんに何の力もないって一月もあればわかったでしょ?!何でさっさと送還しないの?!!」
散々空振った魔法陣からやっと出てきたモノを間違いだと認めるのは少し時間がかかるだろうと思っていた。
だから一週間はそれを納得するのにかかった時間だと思っていた。
しかしいくらなんでも一月もあればそれが人か精霊(ジン)かどうか位判断着くだろうに何故この人達はお兄ちゃんを手元に置いていたのだ。
結果お兄ちゃんの身は異世界で行方不明という事態に陥ってしまったでなはないか。
「それは…陛下が何故か送還を嫌がったからだ。」
リドがかなり言いにくそうに言い訳がましく言った。
思わず立ち上がってしまっていた私の全身からストンと力が抜ける。そのまま椅子にかけ直し無言で食事の手を動かし始めた。
「おい。今ので納得したのか?」
かなり意外そうな声色で尋ねられる。
確かに今までの私ならばお兄ちゃん関連の事についてこうも簡単に引き下がるはずはないけどね。
リドは出会ってからのこの短い時間でもう私の性格を把握し始めているのだろう。
それだけ彼が凄いのか私が単純なのか――考えるのはこの際脇においておくことにする。
「うん。納得した。物凄く納得した。」
それはもうこれ以上ない程に。
あぁ、二人とも理由が知りたそうな顔をしてるよ。
でも教えてあげられるほど大した理由でもないんだけどな。
私の中では単純明快な因果関係の推理の帰結。

「きっと帰ってくる頃には王様お兄ちゃんにベッタリだよ。」
間違い無い。
なんなら此処で誓約書を書いたって構わない。

「だって、お兄ちゃんだもん。」

二人は益々怪訝な顔をした。
やっぱこの人達キチンとお兄ちゃんと会ってないな。
二人とも意味不明って表情をしてはいたがそれ以上質問をしてくる様子もなかったので私達は和やかな食卓を再開した。
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