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06
「あら、リド起きたのね。おはよう。」
「…あぁ。」
「そろそろマナも起こしに行かなくちゃ。」
「俺が行くか?」
「駄目よ!レディの寝室に男が入るもんではないわ。」
「…ツっこまなくては駄目か?」
「ウフフ!!でもモノは考えようよ?こんな格好をしているから、私は今此処にいられる。……一つ忠告しといて上げる。あんまり多感な年頃の少女を苛めちゃ駄目よ?」
「何のことだ。」
「『陛下が伝説の精霊王(イブリース)を喚んだ理由』。言ってないでしょ?昨日の様子じゃ。」
「…言った所でどうしようもあるまい。」
「まぁ、私はアナタやゲイルがなにをしようが口を挟まないけど。あんな可愛い女の子を泣かすなんて男として最低な行為だと思うだけ。」
「………朝食にしてくれ。」
「はいはい。じゃぁ、マナを起こしてくるからチョット待っててね!」
ウインクと共にマリアが消えた後、リドワーンは深い溜息をついた。
もし自分に利用価値があることを知れば彼女はきっと対価を求めてくるでしょうと魔術師の友人は言った。
あの少女は兄を救う為ならば大人にさえ対等な取引を求めるだろう。
そして、その対価は必ずしも自分達に都合のいいものとは限らない。
ならば、少女には自分がとても無力な存在で我々が純粋な善意をもって彼女の力になっていると思わせておいた方が良い。
少女を騙しその力を搾取する――言うまでもなく最低に属する行為だ。
それでも、リドワーンはこの行為に寸分の迷いも無かった。
朝食後直ぐに昨日買って貰ったワンピースを着て私はリドと共に出掛けた。
「外では『マスター』と呼ぶ」ことは昨日話し合いの後決めたことだ。
此処でリドを呼び捨てにする人はほんの一握りしかいないらしい(私が会ったのはその例外ばかりなのは何故だろうか)。
『将軍』などという呼び名からわかるように、リドは軍のトップであるらしいのだ。
まぁ、たとえ呼び名を多少弄った所で長身でがっしりした男と自分で言ってて悲しくなるがチビで(我が家は遺伝的に小さい)童顔(只でさえ日本人は童顔なのにその中でも童顔気味なのである)な少女が一緒にいるのは異常な雰囲気であることは否めまい。
当然の結果として昨日通された執務室での書類仕事ならば兎も角、軍の訓練の視察なぞ行ったもんだから昨日のセーラー服着用時ほどではないにしろ私は現在進行形で好奇の視線に曝されまくっていた。
居心地が悪すぎる。
その内リドまで訓練に参加しだしたものだから余計に身の置き場がなくなる。
仕方なく私は練兵場の側の柵に腰掛けて見るともなしに眺めて降り注ぐ視線に耐えることにした。
「おはようございます。マナさん。」
かけられた声に振り向く。
見知った顔に知らず知らずのうちに安堵の息がでた。
「ゲイルさん!おはようございます。リ…マスターに何かご用ですか?」
「はい。少し内密の用があるのでリドを呼んできて頂けますか?」
う…あの好奇心の固まりのような視線の源泉へと突入するなんてあまりしたくないんだけどなぁ…
「…………わかりました。」
ここであなたは私の主じゃないからあなたの命令を聞く義理はないと突っぱねるのは簡単だ。
しかし、残念なことにそれができるほど図太くもないし異世界でとはいえ人間関係の悪化に無関心でいる気もない。
逡巡の結果私は針のむしろの中央部へと足を進めるべく塀から飛び降りた。
「あぁ、その前に一つ。」
「何か?」
「いえ、たいしたことではありませんが…私の精霊(ジン)を御紹介しておきましょう。これからお目にかける機会も多いでしょうから。」
ゲイルさんは私を手招いた。
そして首もとから大きな宝石のついた首飾りを外すとそれを手渡してくる。
「これが私のアガシオンです。キミーと呼んでいます。マナさん、よろしければキミーに挨拶してやって頂けませんか?」
はい、挨拶するのは良い人間関係(この場合相手は人間ではないが)を築く大切な第一歩ですので全く構いませんが。
「では…」
私はゲイルさんに言われた通りに手のひらに首飾りをのせた。
近くで見ると本当に高級そうだな。
私の掌の半分はありそうな青い宝石がはまったそれに言われた通りに語りかける。
「私はあなたを虐めたりしないよ。だからキミー、出てきて。」
無機物に語りかける自分のイタさにはこの際無視をを決め込んだ。
「ホント?」
幼く高い声が聞こえた。
「え?」
さっきまで確かに私たちしかいなかったこの場に響く第三者の声に思わず声を上げる。
「キミー、そんな風に隠れてないでお前もキチンとご挨拶なさい。」
笑いを含んだ柔らかい言葉と共にゲイルさんはローブにいつの間にすがりついていた三歳位の男の子をそっと私の方に押し出した。
わぁ、可愛い!!
金色の柔らかそうな巻き毛に青くておっきな瞳、薔薇色で思わずプニプニしたくなるような頬。
天使だ!!
天使がいるよ!!
天使はてこてこ歩いて私の前にくるとこちらも柔らかそうな唇を開いた。
「お初にお目に掛かる。儂はイフリートが一柱。今はそこな人間と契約しキミーと呼ばれとる。」
天使はやけに老人臭い口調で言った。
……まぁ、いい。
例えどんだけ中身が爺様だろうがこの天使の愛らしさに些かの変わりもない筈だ。うん。
「驚かれましたか?精霊(ジン)の見た目は中身と全く違うことが良くありますが…キミーはその中でも結構なものなのです。」
「いや…まあ…。」
「キミー、もう戻って結構ですよ。マナさんに紹介したかっただけですから。」
キミーは大きな瞳でマジマジと私を見つめてきた。
心なしか潤んだ碧眼、オプション上目使い。
やはり文句なしに可愛い。
「娘!!」
いきなりキミーは叫んだ。
「なぁに?」
「約束したからな!!キミーのことを虐めぬと約束したからな?!!」
言うだけ言って現れた時と同様煙のようにキミーは消えていった。
えっと――今の言葉は詰まり――もしかして私に襲われると思った…のかな?
確かに余りの可愛さに頬の一つや二つは染めたかもしれないけど…でもそれは天地神明に誓って母性本能(若しくは愛らしい物を愛でる少女の本能)のなした事であって全く疚しい気持ちはないよ?!
ゲイルさんが硬直したまま私を見下ろしている。
まずい、一刻も早くこの誤解はといておきたい。
「ゲイルさん?」
「…何か?」
うわ、笑顔がひきつってるゲイルさんなんて始めてみたよ!!
心なしか声も震えているし!?
完璧誤解されてるよこれは!?
「わ…私確かにブラコンかも知れませんがショタコンではないですからっ!!!」
「――は?」
呆気にとられたゲイルさんを見て気づく。
この世界にはショタコンなんて言葉ないんだ!!
そういやあれ語源は日本の漫画か何かだった気がする――あ、でも何か一応は伝わったらしい。
安心したような苦笑が返ってくる。
「キミーにも言っといて下さい。」
クスクスと柔らかく笑いながらゲイルさんは頷いてくれた。
私も思わずヘラりと笑い返した。
「お前たちそこで何を騒いでいる?」
先ほどの騒ぎを聞きつけたのか気づけばリドが近づいてきていた。
「おや、リド。どうやら呼びに行く手間が省けた用ですね。」
良かったですねと微笑むゲイルさんに無感動な視線をやり、リドは一度だけ私を見下ろした。
「何か用か?」
直ぐに再度ゲイルさんに向き直って問う。
「幾つかお耳に入れておきたい事項が。歩きながらでも宜しいですか?」
「あぁ。」
二人はスタスタと歩き出した。
ここで問題となるのは私と彼らのコンパスの違いだ。
私の腰以上まで足がある二人にスタスタ歩かれては正直堪らない。
加えておろしたての革製の靴(靴下はない)のせいで足も痛い。
従ってほんの三分かそこら後には私は人気のない宮殿で迷子になっていた。
昨日も歩きながらなんの代わり映えのない似たような廊下達にこれはいつか遭難するだろうなぁと自嘲気味に考えたりしてたんだけど、その考えがまさか早くも翌日に現実になるとは――。
兎に角先ずは歩き回ってみよう。
遭難した時はその場を動かないことが鉄則って言うけど此処は王宮だし。
人に会ったらリドの所につれていって貰おう。
―――と思ったのがそもそもの間違いだったらしい。
推定三十分は痛む足で歩き回った後、私は何故か沢山の人達に地面に押さえつけられて刃を向けられることになった。
「此処がシンシア殿下の御在所と知っての侵入か!!」
「曲者め!!」
流れ流れてついたのはどうやら後宮(ハレム)らしい。
なんてお約束なんだ私。
本気で涙がでそうだ。
「名を名乗れ。」
私を押さえつけている兵士らしき人達の一人が低く命じた。
「ま…真名…」
兵士が片手で私の首を地面に縫いつけているせいで息も上手く出来ず従って名前を言うだけでやっとだ。
言い訳なんてとてもできない。
「いま、後宮(ハレム)に参内を許された人間にマナなどと言う名前はない!!」
当然そうでしょうよ。
後宮(ハレム)どころか宮廷自体昨日やっと入る権利を得たのだから。
抵抗する意志も逃亡する意志もない。
でもせめて言い分くらい聞いてください頼むから。
「後宮(ハレム)侵入は重罪!即処断せねば。」
「斬り捨てろ!!」
よく考えれば此処は王様が誘拐されたばかりの宮廷で、当然の如く護衛の人達は気が立っている訳で。
つくづく危ない世界だよ此処。
二日目で早くも生命の危機ですか。
つーか男子禁制な場所なのにあなたたちは入っていいんですか・・・って、待って自分!!
現実逃避気味な思考を追いやり私は何とか首を押さえる手を振り払おうともがく。
一人が剣を抜くのが視界の端に映った。
冗談じゃない。
私は九十まで生きて子や孫に看取られて病院か自宅のベットで永眠するんだ!!
そう、お兄ちゃんと約束した。
取り敢えず話をさせて貰いたいのに。
あなた達床は絨毯なのに血で汚しちゃっていいの?!
「お待ちなさい。」
振り上げられた剣を止めたのは凛とした女の子の声。
「今、マナと言いましたわね?」
すぐ傍らの部屋から声が聞こえる。
扉のない代わりに部屋の入り口を幾重もの紗で覆った部屋。
「アナタ、ハル…ハルトを知っている?」
一週間前までは普通に聞いていたのに何だか懐かしく聞こえる響き…お兄ちゃんの名前だ。
弛んだ拘束の手から起き上がって紗の向こうの誰かに尋ねた。
「お兄ちゃんを…知ってるの?」
問いを受けて相手の声が幾分弾む。
「やっぱり!ハルの妹のマナね!!アナタ達、その人は今から私の客人よ。丁重に扱って。」
「しかし不審者を…」
「いいの。早くなさい。」
正論を無理矢理ねじ曲げて自分の意志を通すのがすごく板に付いている感じがする。
普通の人生を生きてちゃこうはいかないだろう。
「マナ、入って。あぁ、この部屋では靴は脱いで頂戴ね。」
なんでお前がという視線を背中いっぱいに受けながら、私は言われた通り部屋に入った。
まず感じたのは足の裏の柔らかい感覚。
毛足の長い絨毯、一枚や二枚重ねただけではない柔らかさだ。
紗をかき分け進むと上品な香の匂いが鼻を掠める。
二十畳くらいの床一面に絨毯が敷き詰められた部屋、その一角の見るからに柔らかそうなクッション達がたくさん積まれた場所に声の主は寝そべっていた。
「シンシアよ。」
予想の通りそこにいたのはお姫様だった。
しかもただのお姫様ではない。
『お姫様みたいな』という形容詞が滅茶苦茶似合う超絶美形なお姫様だ。
「楽にしてね。敬語とかは別に構わないわ。アナタの事はハルから聞いてるのよ。」
透き通るような白い肌。
紫がかった銀の長いサラサラな髪。
一見儚げな印象なのに意志の強そうな瞳は鮮やかな緑色で見るからに自前の長い睫毛に縁取られている。
桜色の唇が楽しそうに言葉を紡いだ。
「お兄ちゃんが?」
そうか、この人の双子のお兄さんが私のお兄ちゃんの召喚者だ。
でもなんだろう。
それだけで後宮(ハレム)に侵入した不審者に対してここまで歓待をするだろうか。
巨大国家の姫君ともあろう人が。
「アナタ、リドに召喚されたんでしょ?」
「あ…はい。」
「だから敬語は良いわ。あんまり、っていうか全然見えないけど同い年なんだし。」
じゃあ、お言葉に甘えて。
「今はリドと一応契約してる…あ、でも今の私はホントに只の人間だよ?」
「知っているわ。ハルが言ってたもの。」
短い会話の中からでも滲み出るシンシアのお兄ちゃんへの絶対的な信頼。
「お兄ちゃんとは?」
どう考えても不思議で私は不躾に尋ねてみた。
シンシアは嫌がる様子もなくむしろ嬉しそうに答えた。
「ハルはね、私の恩人なの。」
当然その時の私はシンシアが大の人間嫌いでヒステリックな人間であったなどとは夢にも思わなかった。
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