stray

07

邸に帰りまず第一声で怒られた。
何処へ行っていたんだと尋ねられて正直に答えたら呆れられた。
「警備はどうしたんだ……兎も角よく、無事に返して貰えたな。彼処の奴らは今気が立ってるだろうに。」
「あのね、シンシア…姫が口を利いててくれたの。」「シンシア姫が。」
リドは心底驚いた風に瞠目する。
何そんなに驚いてるのだろうか?
「お前…昨日俺がハルのことをアーデルヒルト太后は兎も角シンシア姫から聞くのは無理だと言ったのは覚えているか?」
「あー…」
ぼんやりとは一応ね。
「シンシア姫は極度の人嫌いでヒステリー持ちであられ、家族と一部のお側付き女官としかお話にならん…少なくともここ三年はずっとそうだ。」
「え?でも私のこと助けてくれたよ?あまつさえ明日もおいでって…」
私の靴擦れの手当てを女官に命じてくれた上に迷子であることを話すとすぐさまリドの邸まで送り届けさせてくれた。
今リドが話すシンシアと私が会ったシンシアは別人じゃないかと言うほどリドの言葉から受ける印象は私が今日シンシアと僅かばかりでも話して得た印象とは違う。
「信じられん…あの姫が…」
幾ら何でも自国の姫にそこまで言うのは失礼だと思うけど。

「そうだ。」
声を上げれば何か小難しい顔をしてたリドが顔を上げる。
「何だ?」
「ゲイルさんと何話してたの?…お兄ちゃんに関係あること?」
「いや、人の実家の城をつかわせろとかだな、心配するな。事態は一応前進してはいる。」
実家は城ですか…じゃなくて。

前進…しているのだろうか。

何も進展している様には見えないが。
心配するなと言うのは土台無理な相談だ。
それでも一応私が落ち着いていられるのはリド達が落ち着いているからだ。
これは勘でしかないがリド達は何か王様――ひいてはお兄ちゃんが無事である確証を持っているように感じる。
あぁ、そう言えばシンシアも兄弟が浚われたにしてはひどく落ち着いていたなぁ。
でも、それを教えてもらっていない私はヒステリーを起こさないようにするので一杯一杯で。

私は気付かれないように溜め息を一つついた。






翌日は朝からシンシアの使者だとなのる女性が訪ねてきた。
私を改めて後宮(ハレム)に招待するらしい。
なぜかリドが承諾の返事をした。
「後宮(ハレム)の入り口まで送ってやる。」
そう言ったリドと共にマリアさんに見送られて邸をでた。
「お前昨日はどういうルートで後宮(ハレム)に侵入したんだ?」
人聞きの悪いことを言わないでほしいんだけど。
ただ迷い込んじゃっただけですから。
「あの門通ったか?」
指し示された先にはやたら立派な青いタイル貼りの門がある。
「見覚えないけど…あ、でももっとちっちゃな門は通った気がする。」
「侍女用の裏門だな…だがあそこにも見張り兵はいただろうに…」
見張り兵なんて記憶にない。
大体私は誰でも良いからと人を探していたのだもん。
兵士だろうが何だろうが見付けたら即刻事情を話して迷子として保護をしてもらっていた。
門に近づくと何人もの兵士が並んで立っていた。
昨日私が何の気なしに(なんせ迷子になって焦っていた上に靴擦れした足の痛さに一杯一杯だった)通り抜けた小さな門にも彼らはいるはずだったらしいけど…いなかったと思うんだよねぇ。

その時何人かがこちらに気づいたらしく小走りで駆け寄ってきた。

「将軍!!申し訳御座いません!!」

「コレが言うには昨日裏門には警備の兵がいなかったと聞く。……どういう事だ?」
人をコレ呼ばわりしないでほしいんですが。
もちろん心の声はきちんと心の中で処理しておく。
私はリドから一歩後ろの位置に大人しく立って控え、兵士たちの相も変わらず不躾な視線に耐えることにした。
「はっ、実は侍女の一人が後宮(ハレム)内で怪しい人影をみたと…緊急事態故に一時的に後宮(ハレム)に参ずる許可を太后に頂き門に詰めていた者全員で見回りをしておりました。結局不審者は見つかりませんでしたが…交代要因が届くまでに僅かではありますが空白の時間が出来てしまったらしく…」
「何故俺の所に報告がこなかった?」
リドの叱責の声は低く冷たかった。
思わず前でうなだれている人達を庇ってあげたくなるほどだ。
私の位置からじゃ見えないけどきっと凄く怖い顔をしているのだろう。
兵士達は頑強な体を小さくしてますます深く頭を下げた。
それでもリドは許していないのか無言で質問の答えを要求している。
ついにリーダー格らしきひとりが怯えた風に口を開いた。

「それが…太后様より口止めを…」


「………太后………わかった。もういい。行け。」

太后と呟いた途端後ろ姿でもリドの気配が弛むのがわかった。
兵士達はあからさまに安堵した表情を見せ、一礼して門の前へと帰っていった。
「いいの?」
だって良く考えればこの問題の責任者はリドだ。
末端構成員が中枢に重要な事件を隠すなんて責任者としてはとても看過できる事態では無いだろう。

「……帰りは直接邸まで送って貰え。」
答える気が全く無いらしい。
露骨に話題を逸らされた。
しかも反論の隙さえ与えずに即座に踵をかえし、どこかへと歩き去っていく。
まったく仕方がない人だ。




「まぁ、仕方がないわ。今、王が居ないことが諸侯にばれたら面倒だからって後宮(ハレム)警備に当たる者はリドが信用の置ける少数に任せっきりだもの。あの人も無理させてる自覚がある以上強くは言えないのよ。」
昨日の部屋に通されるとシンシアは昨日と同じ体制で私を出迎えてくれた。
そして先刻の事を話すと苦笑気味に事情を教えてくれた。
「でも…」
それでは太后様が兵士達に口止めした理由にはならない気がする。

考えられるのは――太后様とリドの不仲?

「ん?」
「…いや、なんでもない。」
でもそれを当事者の娘に聞くわけにもいかなかった。
シンシアはたいして気にした風もなくあっさりと話題の転換に応じてくれた。

「リド、私(わたくし)のこと何か言ってたでしょ?」
「あー…」
「人を人とも思わないワガママ王女とか、立場をかさにきた世間知らずのヒス女とか。」
いや、そこまでは言ってないけど。
「ま、良いのよホントの事だし。」
――本当の事なのだろうか。
私がシンシアから受ける印象はよく言えば高貴――悪く言えば高飛車ではあるが決して人間嫌いとかヒステリックと言うようなものではない。
現に初対面から私はとても良くしてもらっているし。

「ねっ、マナ。ちょっとここに来て私の脚を触ってみて。」

ポンポンと傍らのクッションの一つを叩きながらシンシアは私を呼び寄せた。
私は座っていたシンシアの向かいのクッションから立ち上がって彼女の横に行く。
近くで見ても肌に面皰一つ無い完璧な美貌。
さぁ、と促されてシンシアの脚をドレスの上から触った。
ほっそりとしていてでもしなやかな筋肉のついた脚。
ドレス越しにもわかる程のしがない日本民族こと私との絶対的な長さの差と言ったら。
「…自慢したいの?」
余りの情けなさにぼそりと相手に聞こえない程度で呟いた。
もはやコレは『どう?』などと聞かれた日には徹底的に誉めちぎってやらねばならないとシンシアの顔を見やる。
シンシアはほっそりとした完璧な造形の手で自らも彼女自身の一部を撫でた。
その顔は笑っていない。
ただ、その唇から淡々と言葉を紡ぎ出す。
「この脚ね。動かないの。三年くらい前にね、突然動かなくなっちゃったの。原因はわかってないんだけどね。呪われているって言われているわ。」
ばっとシンシアの脚を手慰みに(失礼にも程がある)撫で回していた手を離した。
拍子にシンシアと目が合う。
暗く濁った全てを拒絶するような瞳。
「ご…ごめっ…!!」
唇だけが歪んで笑みの形をつくった。
ぞっとするような迫力と美しさ。
きっと、これがリドが言っていたシンシアなんだと頭の片隅で思う。
でも私はそんなことを気にする間もなく半泣きになって叫んだ。

「ごめんっ!!!痛くなかった?!力強すぎなかった?!」
シンシアの真意を勘ぐってしまった恥ずかしさと申し訳なさと痛い思いをさせてしまったのではないかという恐怖心。
全部がごちゃ混ぜになって何が何だかわからない。

そんな私を見やりシンシアは一瞬きょとんとした後、お姫様らしからぬ爆笑をし始めた。
「大丈夫よ。痛くなんか無いわ。原因不明だって言うと大抵の人が気味悪がるんだけど――ふふっ、ハルの妹にそんなこと試した私が馬鹿だったわ。」
それからシンシアは愉しそうに語り出した。
脚が動かなくなって決まりかけていた結婚――十四で結婚は王族ならば珍しい事でも無いらしい――が駄目になったこと。
呪われていると言う噂、何より本来強力な外交手段となりうるはずの他国との婚姻を果たせない王族への冷たい視線。
「うちは男児にしか王位継承権がないから大臣たちは露骨に無駄飯ぐらいだとか不良品だとか言う顔するし?もっと下の者達まで私を持て余してる風だったし?で、結果先刻言ったみたいな感じになっちゃったのよ。」
でもね、とシンシアは私を見てはにかむような微笑みを見せた。

「ハルがね…言ってくれたの。」

――少なくとも俺にとってはシンシアの脚がどうだろうと関係ねぇな。――

――歩けなきゃいいなんて思ってねぇって。んな事で俺の中のシンシアの価値は誰が何と言っても下がったりはしないだけだ。――

――でも脚が動くようになるならなんとかしてやりてぇな――

――いや、だってシンシアが不便な思いすんのは嫌だし――


――取り敢えずシンシア、無理しない程度に笑っとけ、俺の国では笑ってりゃあ幸せは後からついてくんだ。それに――

「笑ってた方が美人だって……まさかそんなこっ恥ずかしい事を真剣に言われる日が来ようとは考えてもみなかったわ。」
確かにその台詞を恥ずかしがらずに真面目に言うのは少なくとも私にはかなりの精神力が必要とされるだろう。
聞いているだけで何だか赤面してきた。
でも、きっとお兄ちゃんはそんな台詞を大真面目にいったのだろう。
私と同じ様に頬を朱に染めたシンシアが続ける。
「私ね、卑屈になってたのよ。結婚して他国との架け橋になれない自分には価値がないって…もう誰も私の事なんか見てくれないって。だから人と会いたくなかったし、みんなが無視できないように子供みたいに泣き叫んだの。」

そんなことないと、沢山の人が彼女に言っただろう。
沢山の慰めの言葉が彼女には捧げられただろう。

「私はプライドが高いから、憐れまれるなんて真っ平ごめんだわ。でもハルは違った。自分に価値はないと思っていた私を見て憐れむ前に悲しんだ。私が幸せそうでないことを悲しんでくれた。」

その場に居なくてもわかる。
多分もし彼女の脚を直す術があるならばお兄ちゃんは自分の命が危険に晒されようともきっとそれを実行しただろう。
そこには付き合いの長短は関係ないし、憐れみなんか欠片もない。

在るのはただ、シンシアの脚が動けばいいという純粋な思い。

でも実際に方法がないからお兄ちゃんは言葉を紡いだ――せめてシンシアに笑っていて欲しいとそれだけ願って。

その言葉はその思いしかなかったから、幾千の飾られた言葉よりもシンシアにきちんと届いたんだろう。
私とシンシアの目が合う。
シンシアは柔らかく笑った。

「ねぇ、ハルは、アナタのお兄ちゃんは良い人ね。」

じんわりと胸の奥が暖かくなる。
異世界でもお兄ちゃんを認めてくれる人が居ることが泣きたいくらい嬉しくて、そしてそんなお兄ちゃんの妹であれることが心底誇らしい。

「そうよ!!たとえ狸ジジィ共がなんと言ったところで、奴らの言葉如きで私の存在が貶められるものですか!!」
朗々と言い放ち、シンシアは今度は思いっきり明るく笑った。
ふとそんなシンシアにお兄ちゃんの影を見る。

何だか眩しくなってきて目を細めた。
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