stray

08

一人になると私は不安に押しつぶされそうになる。

叫びだして、泣きわめいて、お兄ちゃんを返してと誰かを思いっきり詰ってみたくなる。

ただそれは違うんだ。

悪いのは私だ。
私がお兄ちゃんを巻き込んだ。
私がお兄ちゃんを危険な目に遭わせている。

それを自覚することは私に例えようもない恐怖をもたらした。

「お兄ちゃん…」

名前を呟く。
ただそれだけのことで私の心は少しだけでも凪ぐ。
耳の奥であの声を反芻する。
それだけで小さな震えは止まる。

あぁ、果たしてもし彼を失ってしまったら、この『魂』は平静を保っていられるだろうか?







今朝は少し早く目が覚めてしまったのでマリアさんの手伝いをする事にした。
箒をもって部屋を掃き清めながら鼻歌を歌う大きな後ろ姿は驚く程手際がよい。
流石この邸を一人で切り盛りしているだけのことはある。
「マリアさんは歴戦の主婦みたいです。」
「あら、嬉しいっ!」
いや、私もポロリと言っちゃっといてなんだが今のは男の人にとって誉め言葉になるのだろうか。
でもそんな微妙な一言ですら心底の笑みで答えてくれるこの人は本当に気持ちが良い人だと思う。
無愛想、薄い反応がデフォルトな私の暫定ご主人様とは全然違う。
だけどふと考えればこの人も大概謎な人だ。
全然性格も身分も違うはずのリドとあんなに親しげでその上何よりも女装。
話しているとわかるが、マリアさんは別に中身が女の人って言うわけではない。
本人曰く
「女性の格好しているんだから女性の言葉遣いじゃないと不自然じゃないの!!」
との事だがまず女性の格好をする事が不自然の極みであろうに。
まぁ、結論としてはとにかく女装している気持ちの良い男性だと言うことだ。
あれ、話がズレた。
「そういや、なんでかリドってマリアさんの言うことは素直に聞きますよね。」
主に早く風呂入れだとか食卓で仕事の書類読むなとか。
「まぁ、従兄弟だしね。多少気心は知れてるわ。」
思わずはたきを持つ手が止まった。
それは――また。
いや、でも言われてみればマリアさんが化粧とったらリドに似てるかも。
「その上オプションで剣については私が彼の兄弟子だしね!」
ふふふ、と笑うマリアさんをマジマジと見やる。
昨日シンシアと話をして知ったことだがリドはこの国で最強と歌われる剣士らしい。
そのリドの兄弟子と言うことはふざけたナリをしてこの人意外と強いのかもしれない。
剣を持つ巨大な女装メイドを想像して余りのシュールさに思わず苦笑が漏れた。
「さぁ、掃除はこれ位にしましょう。有り難う助かったわ!!!」
「ホント?」
しまった。思わず尋ねてしまった。
「あら、何よ私が嘘を言っているとでも?!」
私は慌ててその言葉を否定する。
「いや、そうじゃなくてなんか滅茶苦茶良くして貰ってるから恩返しをキチンとしたいなぁ…って。でも、なんとか頑張って一返す内に十は何かして貰ってるし、よく考えればその一すらもちゃんと返せているか自信無いって言うか…」
ぼそぼそと言葉を連ねる。

ふと気付くとマリアさんは無言になっていた。

その沈黙に不安になって顔をあげる。
いつになく真剣な表情が目に飛び込んできた。

「ねぇ…」

マリアさんが膝を付き私に目線を合わせてくる。
近づいてきた精悍な顔に思わず体を強ばらせた。
「そろそろね、潮時だと思うの。今回の事で事態はきっと動く。だからね、この期に乗じて全部片しちゃおうかなって思っているのよ。」
ねぇ、手伝ってよと囁く声は低くていつもの作ったような声音ではなかった。
その声が今彼が話す内容がこの上なく真剣な話題であることを痛いくらいに教えてくれる。
それでも、私はこの雰囲気に呑み込まれながらも小さく頭を横に振る。

「私は…」
一歩後ずさってマリアさんと距離を置いた。
「私は近い内に必ず帰ります。なんの責任も負えない私が重要な事柄に関わるのが良いとは思えません。」
建前に塗り固められた精一杯の正論を振りかざして拒絶の意を示す。
本音を言うつもりは元より無い。

余りにも私の顔が強ばっていたからであろうか、マリアさんは苦笑して立ち上がった。
「でもアナタが関わらないなんて不可能だと思うわ。」
「それは…私が元精霊(ジン)だからですか?」
そう思われているなら余りに不快だ。
私の中で自分が精霊(ジン)だったと言われることは、生命は元を辿れば全てプランクトンみたいなもので、だからお前もプランクトンと兄弟だと言われる位に実感の伴わない、突拍子のない事だったからだ。
ただでさえ今は、その自覚のない経歴を疎ましく思っているのに。
マリアさんは首を振った。

「違うわ、アナタがリドの側にいる限り、そしてアナタが『あの子』の側にいるハルを追う限り、アナタはきっと知ってしまう。――そうね、その時アナタには私たちが滑稽に見えるでしょうね。捕まるべき流木が側にあるのに川の中で溺れている様なものだもの。でもね、溺れている本人は沈まないようにするのが精一杯で何処に手を伸ばせば助かるのなんてわからないものなのよ。私が欲しいのは岸から声をかけてくれる人よ。もしアナタが私達の滑稽さを哀れに思ったらで良いわ、一声かけて頂戴。」
マリアさんは言いたいことは言い切ったとばかりにさっさと部屋を出ていってしまう。
私は言われたことの半分も理解できず、けれど追撃を許さない背中の頑なさはリドに似ていて私は初めて二人の血縁関係を思い知らされた。



「おい。」

「ひっ!!」

物思いに沈んでいた所にかけられた声に思わず悲鳴をあげてしまう。
しかし、そこにいたのは不審者などではなく居て当然のこの邸の主であった。
「うわぁ…吃驚したなぁ。あ、おはよう。」
「マリアと何を話していた。」
挨拶は完全に無視される。
ただ、それにむっとして文句を言う前に余りにも鋭い視線に気圧されて何も言えなくなる。
「何って…」
果たしてあれは他人に口外して良い事柄なのか判断がつかない。
思わず口ごもってしまう。

「言え。」

横暴な物言い。
けれど続けて発された鋭い言葉にハッと気づいた。

これは、この言葉は――命令だ。

リドは今、主人として私に命令している。
この二日、私はリドの側にいたものの大して従者だという自覚もなく好き勝手していたし、リドもそれを容認しているように見えた。
けど今は違う。
リドは私に当然の権利として命令をしている。
契約に違わない限り従わないという選択肢は私には許されない。

私は口を開いた。











「マナ、今日はゲイルにつき合え。」
「……はい。」
全部洗いざらい話しきってから朝食を食べた。
朝食が食べ終わる頃ゲイルさんが訪ねてきてゲイルさんと一言二言かわしたリドは私に短く言った。

マリアさんはいつも通りだったけどリドは朝食中もずっとマリアさんを睨みつけていて、私はかなり居心地の悪い思いをしていた。
こっそりマリアさんに謝って、良いのよと言ってもらえたのが唯一の救いだ。
それでも一刻も早くこの空気から逃げ出したくて食後のお茶も早々に逃げ出した。



「先代の魔術師長が是非マナさんにお会いしたいと仰いまして。しかし先代はご高齢で御自分の部屋の外へは滅多に出られないのです。申し訳ありませんがご足労願えますか?」
「あ、はい。大丈夫です。」
例の何ら変わりばえのない廊下を歩いて導かれた先の扉を開けた。
強い香の匂いが立ちこめる窓もない薄暗い部屋。
ランプの明かりにぼんやりと人影が浮かび上がる。
暗さに目が慣れるとそこにいたのは骨と皮で出来ているんだろうかという白髭の老人だった。
ゲイルさんと同じデザインのローブと杖から彼が目的の人物だと知れる。
「老師。ゲイルシュターで御座います。異世界からの客人をお連れしました。」
老人は干からびたように小さく、彼の体にローブは大きすぎるように見えた。
ローブの袖から枯れ枝と見間違うばかりに細い腕が差し伸べられる。
握手を求められているのだろうか。
戸惑いながら手を伸ばせば思いの外強い力で握られる。

「儂はアーシャー。老師なぞと大層な風に呼ばれとるがただのマジュヌーンじゃ。魔術師としては三流じゃな。」
「マジュヌーン?」
「ジン憑きじゃよ。ジンに憑かれれば普通は気が狂うかどうかするが、儂は魔術師の端くれだった故になんとか使役出来とる。片目をイフリートに憑かれとるんじゃが、イフリートを使役出来る者は滅多におらんから魔術師長なぞを長いことやっておった。魔力自体は全く大したことはないのにもかかわらず…な。」
近くに寄ってみるとアーシャーと名乗った老人は片目を眼帯で隠していた。
ゲイルさんがキミーを宝石に入れるように彼は自分の目に精霊(ジン)を入れているらしい。
目に異物を入れていると聞かされても不思議と嫌悪感はなかった。
「そちらの目に?」
眼帯を指さす。
しかし老師は矍鑠と笑って首を振る。

「否、こちらの目は抉りだしてもうた。ミスハルが儂と同じ物を同じように見たいと申すのでな。」

「え”?」
この言葉には流石にギョッとした。
そんな、ポケットの飴玉をあげたのと同じ様な気軽さで言う言葉ではないだろう。
手を握ったまま、老師は私の顔をのぞき込んでくる。
無意識に視線が片目にすい寄せられた。
「綺麗…」
思わず口から言葉が突いて出る。
老師の目は夜の空の様だった。
濃い藍色の光彩の中で夜空の星の様な無数の金の光がランプの光を反射している。
老師はその目を少し細めて笑った。
「マナ…と言ったな?」
「はい。」
「ゲイル、出ておれ。マナと少し話がある。」

ゲイルさんが一礼して部屋を出たのを確認して老師は口を開いた。
「さて。儂がお前さんを呼び出したのは、いくつか教えとかねばと思ったからなのだよ。」
「何をですか?」
「その前に今の王宮をどう思う?」

どう…と言われても答えに困る。
まだこの世界に来てそんなに時間がたっていないし、何より私自身がここの裏に渦巻いているものを知ることを拒絶しているから正直何も知らないとしかいえない。

「…静かなところです。」
それぐらいしか実際感想はなかった。
「そうじゃな、だがこの静かさは王の不在が知られてないからこそのものじゃよ。」
嵐の前の静けさと言う奴じゃなと言って老師はどこか楽しそうに笑った。

「まぁ、そろそろ潮時じゃろ。」

その言葉に今朝のマリアさんとの会話を思い出してどきりとした。

「聞くところによればお前さんはここのゴタゴタに関わるのを嫌がっているそうだの?じゃから、これはただの一般常識として聞いてほしい。」
私がその言葉を拒絶するか否か迷っている内にさっさと老子は語り出す。

「諸国、王の選び方は色々あるがこの国では長男相続が絶対とされておる。――絶対とされすぎていて臣籍に下った者達の継承順位はないがしろにされる傾向がある。」
片目からの老人とは思えないほどの、枯れ木と見間違うばかりの体には不釣り合いな恐ろしく鋭く強い視線は私を竦ませるのに十分だった。

「今、王室に王子はおらん。陛下がいなくなれば諸侯は王位を狙って動くぞ。」
あぁ、そう言えばゲイルさんも前に言っていたそんな事気がする。

「もう一つはお主の事じゃ。記憶はないそうじゃが、精霊王(イブリース)だったお前さんはかつてこの国の始祖王と契約をしていおった。これがどういう意味か判るか?」

契約?
私が?
始祖王って――この国の王のご先祖様?

全く知らない自分の過去を唐突に知らされて私はかなり動揺した。
だから勿論質問に対する答など考えられなくて、ただ首を横に振る。

「お前さんに現在力が有ろうと無かろうと、始祖王と契約した精霊王(イブリース)を側に置く者は始祖王の再来と見なされるじゃろう。詰まり、王位にもっとも近くなる。お前さんが望もうが望まなかろうがお前さんは王位を巡る争いが起これば間違いなく最強の武器となる。」

「私は――人間です。」
そんな大層な力は私にはない。

絞り出すように言えば、思ったよりやさしい視線が返される。
「判っておる。それでもお前さんが過去精霊王(イブリース)であった事実は変えられん…だから」


「覚悟を決めておくがよい。『殺戮の精霊王(イブリース)』よ。」


薄暗い部屋を出ると陽光に目が眩んで思わずよろけた。
勿論精神的なダメージも原因だろうが。
ゲイルさんの腕が地面に倒れる前に支えてくれる。
「お話は如何でしたか?」
自分のことは話す気になれず、王位を取り巻く状況のことだけ話した。
ゲイルさんの顔が険しくなる。
「そうですか…老師はご自分で仰っていた通り、魔術師としては余り腕がよくありませんが…長い事王宮にいらしたお方。その方が仰るなら間違いはないんでしょう。」

思えばこの時腹を括ってしまえば良かった。

そうすれば同じ、状況に流されるというのももっと違った心持ちで臨めただろうに。
しかし、私がグダグダしている内に事態は動き出していたらしい。

リドの下に諸侯が王の不在に感づいて動き出したとの報告が入ったのは二日後の朝だった。
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