stray
09
マリアさんからの依頼、老師からの忠告、そしてリドとの契約。
私の思惑を裏切りまくって蜘蛛の巣に絡まったみたいにもがけばもがく程の世界のゴタゴタに巻き込まれていく自分を自覚して溜め息が出た。
――お前さん自身の名前じゃ、どう使おうがお前さんの自由じゃよ『殺戮の精霊王(イブリース)』――
一昨日老師が最後に言った言葉。
殺戮……なんとも穏やかではない。
自分的にはぼんやりとしたあぁ、そういや精霊王とかいうモノだった気もするなぁ――程度の記憶をこの世界の人達が寄ってたかって肯定する(否定をしない)ものだから、うっかりおざなりにしてしまっていたけれどよく考えれば精霊王(イブリース)とは何なのだろうか。
私はかつて何をして殺戮の、などと物騒極まりない形容詞を戴くに至ったのだろうか。
そして、何故私はこの世界を捨てたのだろうか――?
今までは思い出せないし思い出す必要性を感じなかった事柄だけど、この世界に来て少しだけこの魂の経歴が気になり出した。
十度目の足止めを一睨みで黙らせるとリドは無言で歩きだした。
ついさっき邸で王の不在がバレたかも知れないと報告を受け慌てて飛び
出したは良いが幾らも歩かないうちに人に捕まる。
みんな一様に同じ事を聞いてくるけど正直に話すわけにはいかないのかリドはその度に急いでいるの一言で切り抜けていたがそろそろそれも煩わしくなってきたらしい。
「いつになったら辿り着けるやら…」
「無駄口を叩くな。」
少なくとも昼時までには辿り着いていたいがこうも足止めが多いと一生辿り着けないのではないかと言う錯覚にも捕らわれようと言うものだ。
多少のぼやきくらいは精神安定のために許容して欲しい。
「将軍!」
やっとリドの部屋までやってくると軍部の制服を来た将校が駆け寄ってくる。
「宰相がおいでです。」
直立不動の姿勢で告げられた言葉にリドは顔をしかめる。
「わかった。人払いしろ。」
私はリドの顔を見上げて小声で尋ねる。
「…味方?」
「誰のだ。」
じろりと見下ろされ低い声で返された。
余りにも頑なな声にむっとする。
軽く睨む。
「陛下の、と言う意味ならば建前上この国に仕える者は皆陛下の味方だろう、と答えておく。」
素っ気ない言い方からも『建前上』なんてワザワザ付けるところからもリドが宰相さんとやらに良い感情を持ってないのは確かだった。
だから、リドは答えてくれなかった質問の回答を私は一応は得ることとなる。
ここ数日リドのそばにいてわかっていた。
よくよくみれば、リドの行動のベクトルはすべて『王様』に向いている。
私ほど分かり易くないけれどきっと王様はリドにとって私のお兄ちゃんと同じ立ち位置にいる―――気がする。
「…リドの敵なら私の敵だよ。」
リドがお兄ちゃんの敵になるなら別だけど。
そうでない限り私はリドを裏切らない。
リドの目が僅かに見開かれた。
「私も席外す?」
「……その必要は無い。…こないだのように迷われても面倒だ。」
大きな手がグシャリと私の頭をかき回した。
ちょっ、髪とかしたばっかなのに。
文句の言葉を言おうと口を開いた瞬間扉の中から初老の男性が出て来る。
「将軍。待ちくたびれましたぞ。」
リドは踵を揃えきちんと礼の姿勢をとった。
「宰相においでいただくとは恐縮です。お呼び頂ければこちらから伺いましたのに。」
おぉ、リドがきちんと敬語を話相手に使うのを初めて聞いた。
この人、リドより偉いんだ。
ちょっと吃驚して宰相の顔を見ると目があってしまった。
ヤバいと思う前に獲物を見つけた蛇の様な目で笑われる。
「陛下が行方不明だと言う噂があるそうですね。」
「戯れ言ですね。宰相ともあろう御方が下々の風評に流されて下さいませんよう。」
無表情のままあくまで態度は丁寧にリドは言葉を返す。
「とは言っても此処暫く陛下へのお目通りが叶っていないのも事実。……少し心配になりましたが、要らぬ気遣いだったようですな。陛下の側近たる将軍が王宮にまで暢気に幼子を侍らしているのですから。」
笑みの形に歪められた口元に生理的嫌悪感が走った。
台詞の端々からゲスな勘ぐりが見え隠れして大層不愉快だ。
これだからオヤジは嫌われるんだ。
大体私はこの世界ではもう結婚してもおかしくない年齢なのに幼女呼ばわりとは頂けない。
「因みにこれはあくまで噂ですが、陛下はローゼンベルク将軍の手で既に亡き者にされたと言う者まであるとか…」
白々し過ぎていっそ笑えてしまうほど宰相自身がそう思っているのは明白だった。
リドの王に対する言葉は忠誠心に溢れているように私には感じられていた。
たとえ、目の前の男が何を言おうとリドが王を裏切ることは私がお兄ちゃんを裏切ること位有り得ないと思えるほどに。
「それはそうと、実際『例の噂』は本当なんですかねぇ、将軍?」
何か引っかかりを感じる。
『例の噂』って王様が行方不明って噂じゃないの?
リドの表情は堅くて何も教えてはくれない。
「何度もわせないで下さい。宰相ともあろう御方が下々の噂に惑わされませんように。」
ニヤリと宰相は笑みを濃くした。
「では、何故陛下は貴方を疎んじるのですか?」
思わず傍らの長身を見上げた。
「太后も貴方への警戒を解こうとしない。これこそが『例の噂』を裏付ける証拠ではないでしょうか?」
私はリドの態度からリドはきっと王様に絶対の忠誠を持って仕えてると思っていた。
多分それは間違いじゃない。
でも、そんな忠誠を捧げられた王様はきっとリドに絶対の信頼を置いているだろうという想像は違っていたらしい。
「やはり貴方は――」
ぼんやりとした驚愕は隣で突如変わった空気に打ち消された。
初めて感じ、本能で理解する。
これは間違いなく殺気と言うものだ。
素人の私でもすぐに理解できたのに…信じられない、この殺気を受けても口を閉じないとはこの宰相何処まで鈍いんだろう?
「先王の――」
ヤバい。
これ以上は無理だ。
幸い私はリドの左側に立っていた。
だからリドの腰ごと剣を抱え込めた。
一瞬後にリドの右手が剣を掴もうと私の肩にぶつかる。
間に合った。
自分偉い、目の前でスプラッタが繰り広げられるのを阻止できた。
剣を抜けないようにがっちりと腰に抱きついたまま宰相を見れば今更リドの異変に気づいたのか真っ青な顔で呆然としていた。
「ちょっと。マスター落ち着いてよ。此処では殿中で刃傷沙汰御法度とかないの?お家とりつぶされちゃうよ?」
私は仇打ちに襲撃かけたりしないよと、張りつめたリドの気を紛らわそうと精一杯冗談を言ったけど、よく考えればこの話題自体地域限定だろうと後から気づいた。
案の定、何を言っているんだという顔をされた。
あ、でも気をそぐのには成功したらしい。
「そっ…そろそろ失礼しよう。」
宰相が逃げるように歩きだす。
それに僅かに身じろぎしたリドは腰にすがりついたままの私の頭を一度ポンと叩くと遠ざかる後ろ姿に声をかけた。
「次、その噂を口にするならばるならば、正式に不敬罪として捕らえられますよ。お気をつけて。」
「意外と沸点低いね。」
「…お前には関係あるまい。」
誰もいない執務室で二人っきりで向かい合う。
と言ってもリドは机に向かって書類仕事、私は手持ち無沙汰に応接用の椅子に座っているだけだけれど。
「仲悪いの?王様と。」
無駄口を叩くなと起こられる前に単刀直入に尋ねてみることにした。
「何故それを聞く?」
「王様はお兄ちゃんの召喚主だから。リドがもし本当に王様を殺したらお兄ちゃんを送還する人がいなくなっちゃうから。」
勿論本気で言っているのではない。
リドも私の安い挑発に乗ってくれるほどバカではないし。
「それは、ハルが送還されるならば俺が陛下に反逆するのを手伝うように聞こえるぞ?」
「そうだよ。」
お兄ちゃんが日本に戻る為だと言うならば私は別に構わない。
それこそ、昨日老師が言ったようにリドが精霊王(イブリース)を手に入れたことを理由に自分が王だと反逆しようが別に良い。
それ以外の事では元精霊王(イブリース)と言う経歴を利用されるのなんて真っ平御免だが。
「そうなれば内戦は避けられん。お前を理由に人が死んでも構わんと?」
一瞬言葉に詰まった。
そして思う。
この人はなんて意地悪な人だろう。
なんて意地悪な質問をするのだろう。
人が敢えて考えないようにしていることを。
でも、私が理由で人がたくさん死んだとしても
「それをリドが望み、そしてその結果としてお兄ちゃんが無事に帰れるのであれば。」
リドの灰緑色の目に少しだけ加虐的な光が灯ったのが見えた。
「異世界人が何人死のうと関係ないか?」
何となくリドは苛ついていると思った。
それは先刻の不名誉な言いがかりのせいかもしれないし、王様の不在のせいかもしれない。
明らかにいつもより言葉に刺がある。
「嫌だよ。でもお兄ちゃんが無事に帰れるならそっちを選ぶ。」
我慢するとか耐えられるとか言う嘘をつく気にはならなかった。
現実問題として私がそんな重責に堪えられるとは思えなかった。
「で、私も答えたんだからリドも答えてよ。」
これ以上突っ込まれたら泣き叫んで癇癪を起こす自信があったので話の軌道を修正する。
この話題に関してはこれ以上しゃべりたくない。
リドは私から顔を逸らす。また話を逸らされてはたまらないと追撃に口を開こうとしたその時。
「憎まれようが、疎まれようが、俺の主君は陛下だけだ。」
ぼそりと吐き捨てるように言われた言葉。
目を見ればわかる。
これはリドの本心からの言葉だ。
あぁ、この人は――なんて幸薄そうな顔で本心を漏らすのだろう。
まじまじと逸らされた横顔を見ながら考える。
困ったことになったかも知れない。
さっきまであんなに荒れていた私の中は今や凪いでいる。
それにしても自分より一回り以上、もしかしたら二回りは年上かもしれない大の大人にたいしてこんな感情を抱くとは母性本能とはどれだけ許容範囲が広いのだろうか。
私はこの世界にあまり関わりたくなかった。
お兄ちゃんを唯一の命題としておけばさっきの話のような事が起こったときに躊躇が少なくてすむから。
かつて全知全能と歌われたらしい私は今やとても無力な存在で、大事なモノを両手に一つずつ持っていたら護りきれない自信がある。
ならば、一つだけで良い。
一つだけならばそれを両手で握り込んで胸に抱え込んでこの身を盾として、そうすれば護れるかもしれない。
そう思ってはいたけれども――
自分が大切に思う人に嫌われるのはとても悲しい事だ。
そしてこの人にそんな思いをさせたくないと、ぼんやりとだけど確かに感じている。
「なら大丈夫だね。リドが王様を裏切らないならば、私も王様の敵には絶対になり得ないもの。」
安心していいよリド。
「お前の兄貴が裏切ればお前も裏切るんだろう?」
本当に意地悪な言い方ばかりしないでほしいんだけど。
「有り得ない。王様がお兄ちゃんを、ならば兎も角お兄ちゃんが王様をなんて絶対有り得ないし。」
シンシアの様子ではお兄ちゃんと王様が不仲ってことはまずなさそうだったし。
お兄ちゃんは絶対に人を裏切らない。
一度懐に入れた相手にお兄ちゃんがかける信頼や愛情は無限と断言しても差し支えないものだから。
まあ、そこがお兄ちゃんの良いところでもあり困ったところでもあるのだけど。
あの人はもう少し人を疑うことを覚えても良いと思う。
「俺も…逆は兎も角俺が陛下を裏切ることは有り得ない…」
「じゃあ、絶対大丈夫だ。私はリドを裏切らない。」
にっとわらってみせる。
残るは王様がお兄ちゃんを裏切らないように祈るだけ。
「誰かがハルを助けてやるからお前の力を貸せといったらどうする?」
「問題ないわ。お兄ちゃんを助けることはほぼイコールで王様を助けることに繋がるもの。王様を助けることに繋がるならばリドも文句ないでしょ?」
でも例えば他の誰かがお兄ちゃんと全く関係ないところでリドを害してくれと言っても私はけして頷かない。
「私はお兄ちゃんに関わらない限り、この世界の他の誰をもリドとの天秤にかけたりはしない。リドは私にとって『この世界で』一番大切な人だから。」
私には何も力はないけれど、それでもリドの役にたってあげたいと思った。
「早くお兄ちゃんと王様を取り戻そう。」
何があってもこの世界で大切なモノをつくるのはやめようと思ってはいたのだけれど、その誓いは破られてしまっていたらしい。
でもいいや。
リドの王様に対する気持ちには多分敵わないだろう。
私のお兄ちゃんに対する気持ちには絶対敵わないだろう。
それでも、無限と言い切れない気持ちでも、リドは私のたった一人の主なんだから。
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