stray
11
「お邪魔しまーす…」
「はい、いらっしゃいっ!って、…どうしたのよ?」
上機嫌で私を迎えたシンシアに私は力無い笑みを返した。
さて、どう言ったものか。
理由はもちろん先ほどの一件のせいなのだが、ここでそれをシンシアに言うのが得策ではない気がする。
大体、告げ口は気分がよくない。
「リドの機嫌が悪すぎて側にいると気疲れする。」
嘘ではない。
王が行方不明だと噂がたって五日、ほぼひっきりなしリドの元には人が来るようになった。
「王はどうしたと言う人がひっきりなしに来るでしょう?まあ、それは良いとして次の王様の話題を持ち出されると途端に機嫌悪くなるんだもん。」
端から見ててはちょっとわからないだろうけど(リドは表情にあまり出さない)5日間も横にいれば機嫌の善し悪し位わかるようになる。
そして機嫌の最悪に悪い相手の横に四六時中いること程気疲れすることもない。
シンシアは少し酷薄な笑みを浮かべる。
「まぁ、順当に行けば次の王はリドだものね。移り身の早さで王宮を生き残ってきた奴らはこの期に顔売って起きたいんでしょう?」「え、リドって王位継承権持ってたの?」
初耳だった。
臣籍の中に王位継承権を持つ人がいるのは知っていたけどまさかリドが持っているなんて思わなかった。
「ソーマが…あ、ソーマって言うのがうちの今の王の名前なのだけどね。ソーマが男児を作るまではリドが王位継承権二位よ。」
二位ってかなり高いのではないだろうか。
「若くて、頭よくて、武名高くて、血統も文句なしによくて、民からは人気たかくて。余りにもあらが見当たらないから古株の狸爺共からは目の敵にされてるみたいだけど。若手には受けが良いみたいね。」
へー、としか言えない。ていうか、話しを聞く限りではかなり嫌みな奴だねぇ。
「まぁ、そのせいでソーマに嫌われている訳だけど。」
さらりと言われた言葉にこの話題を掘り下げるべきか否か逡巡する。
もともと、これだけは聞いておこうと思った事柄ではあるが。
でも、王と王位継承権も持ってる重臣が仲悪いってそんなに軽々しく言えることでもないでしょ。
結局続けることにした。
私だって好奇心がないわけではない。
「なんで?」
「比べられて勝てるところが血統しかないから。」
それは、それは――またなんともフォローに困る。
「つまりはリドの片思いって訳だ。」
この喩えもなんだかだけど、シンシアはあぁ、そうねとえらく納得したように首肯した。
「リド忠誠心を疑うなんて莫迦共だけよ。古狸の群とか。」
斬って捨てるような物言いに苦笑しつつ質問を続ける。
「じゃあ、太后も?息子が勝てないから?」
「それなのよ。」
ふとシンシアは難しい顔をした。
「母上がそんなこと気にするっておかしいのよ。母上の性格ならばたとえどれだけソーマがリドに勝てなくても王家直系はソーマだたから王に相応しいのはソーマだって言いきってそれでおしまいの筈なのよね。」
それはまた、豪気なお母さんだね。
「けれど母上のリドに対する態度には少しだけ敵意が感じられるの。」
「それはやっぱり口では色々言ってても本心は…息子より出来が上な王位継承者は妬ましいってやつじゃ?」
シンシアはわかっていないわねぇと言いながら首を横に振った。
「母上は自分が一度敵と決めた相手には容赦しない。ソーマの敵だと認識すれば完膚なきまでに叩き潰すわ。なのにリドにはなんの行動も起こさない。大体あれだけソーマに忠誠心を持っているリドを信用していないって言うのがまず変な話なのよ。こちらへの忠誠心が本物かどうかを見抜く嗅覚がずば抜けていて、利用出きるとわかったなら骨の髄まで利用尽くして馬車馬のように働かせる人なのに。」
実母に対する遠慮はかけらもない口調で虫も殺さなそうな可憐な容姿をもつ姫君は断言した。
「でね、理由なんだけどこんな『噂』があるのよ…」
噂好きはすべからく女の子皆が持っている属性だと思う。
それは如何に美人だろうと身分が高かろうと関係ないらしい。
シンシアの顔が私の顔に寄せられる。
甘い芳香が鼻腔をついた。
「実はね……」
私はゴクリと息を飲み次の言葉に備える。
「姫、お茶のお変わりをお持ちしました。」
丁度その時、タイミングよく(悪く?)侍女がお茶を持ってきたらしい。
知らず緊張で詰めていた息を吐き、紗をかき分けてくる人影に私は気をきかせて立ち上がる。
お茶を受け取ろうと思ったのだ。
「あ、すいませ…」
だが、近づいてみても侍女の手には盆や茶器らしき物は無かった。
代わりに握られていたのは鈍く銀の光を放つ――
「死ね!!」
光の正体を認識するまもなくそれは私の腹部に向かって突き出された。
「マナっ!!」
シンシアの悲鳴。
体は無意識下で回避行動を起こす。
布をを切り裂く音が聞こえる。
痛みはない。
大丈夫――刺されてない…筈だ。
「くそっ!」
全力で突き出したであろうナイフをよけられたせいだろうか相手は呪詛の言葉と共に体勢を崩した。
私もそれに巻き込まれる形で絨毯の上に倒れ込む。
「レキ!!!」
侍女が何事かを叫んだ。
否、誰かを呼んでいる。
「レキ!!出てこいっ!!」
「マナ!コイツ男よ!!」
シンシアがヒステリックに叫んだ。
言われてみれば、言葉使いは粗野だし声は少女と言うには低い気もする。
何より服越しに感じる相手の体は女体特有の柔らかさとは無縁の硬いものだった。
あぁ、後宮(ハレム)は男子禁制だからこんな格好をしてるのかな?
それにしてもマリアさんといいこの人この世界では女装が流行っているのであろうか。
いや、でもマリアさんと彼(?)を一緒にするのは彼に失礼と言うものだろう。
マリアさんの女装は冗談以外の何物でもないが彼は見た目は完璧に可憐な美少女だもの。
「レキ?!!出ろ!!」
三度彼が叫んだ。
どうやらレキとか言う人が来ないらしい。
仲間割れだろうか?ならばこちらにとっては好機だった。
混乱しているらしい彼の手にある短剣に手を伸ばす。
「シンシア逃げ……」
叫びかけて気づく。
駄目だ、シンシアの足は動かないんだ。
ハッとして自然と顔が険しくなった。
私がこの状況を何とかしなければならないという責任感。
必死に短剣をもぎ取ろうと足掻く。
が、彼は私に覆い被さる形に倒れ込んできたせいで体勢的には断然私が不利だった。
それじゃなくても腕力差は歴然としている。
「離せっ!!」
「かっは…っ」
拳が腹にめり込む感触と共に鈍い痛みが襲い来る。
息ができなくて、痛みで思考が鈍ってそれでも彼の体が私をふりほどいたのがわかった。
狙いが誰なのかなんて聞かなくてもわかった。
――シンシアが危ない。
「きゃあ!!」
高い悲鳴が空気を裂く。
「シンシアっ!!」
無我夢中でシンシアの名前を叫びながら必死で祈った。
お願い!!誰でも良いからシンシアを助けて!!―――
願いは意外な形で叶えられた。
シンシアへと短剣を手に突進していく侍女服は到達前に地面に薙ぎ倒される。
最初は何だかわからなかった。
数秒してやっと侍女服を薙ぎ倒したものは蜷局を巻いている大蛇だと気づく。
胴が大人の太股位ありそうな巨大な蛇。
蛇は鎌首を持ち上げ威嚇なのかシューと音を立てる。
「何よこれ…」
大蛇が侍女服の少年に巻き付くのを私は呆然として眺めた。
色々な衝撃が過ぎ去った後、彼の全身が軋む音をきいてやっと彼の安否に気が回るようになる。
マズい、これは危険かもしれない。
地球産の大蛇は牛を締め殺せると聞いた事がある。
突如現れたこの大蛇が地球産の蛇より非力だはとても思えなかった。
その証拠に侍女服の彼が苦痛の呻きをあげる。
いくら何でも目の前で人に死なれるのは厭だ。
思わず声が出た。
「殺しちゃ駄目!!」
「おやめなさい!!」
私とシンシアは同時に叫んだ。
二人のどちらの叫びが届いたのかはわからないが果たして蛇は止まった。
ただし拘束までは解く気はないらしく彼は苦悶の表情を崩そうとはしない。
「何これ…?」
呟いた声は質問というよりは独白に近かった。
「さぁ…私を守ってくれたし多分宮廷魔術師の誰かの精霊(ジン)だと思うんだけど…」
自信なさげにシンシアが答える。
「これはこれは。」
嗄れた声が私とシンシアの間に奇妙に落ちた沈黙を破った。
「老師?!」
「アーシャー翁?!」
無残に引き裂かれた(先程の布を裂く音はこれだったらしい)紗のカーテンをかき分けて入ってきたのは枯れ枝のような先代王宮付魔術師長だった。
「緊急事態故、男子禁制の戒を犯しました。お許しを、姫。」
穏やかに笑い膝を付き頭を垂れ老子はシンシアに礼を取る。
「さてさて、こちらの小僧ですな。」
見た目は可憐な美少女を一発で少年と看破し、彼に巻き付く大蛇に目を留めると老師は僅かに片眸を細めた。
「マナ?」
「はっ…はいっ!!」
いきなり名を呼ばれ私は思わず素っ頓狂な声をあげる。
「ミスハルを…儂の精霊(ジン)を出しても宜しいかな?」
「え…」
何故私に確認を取るのだろうか。
私にはなんの決定権もないんだけど。
むしろシンシアに尋ねるべき質問なのではないのだろうかそれは。
「構いませんが…」
でもどうしてと続けないに老師の横に新たな人影が現れる。
長い夜色のローブ、小柄で尚且つ枯れ枝のような痩躯、そこにいたのはまさしく老師だった。
ただ、眼帯をした目だけが違う。元々いた老師は右目に、新しく現れた老子は左目を隠している。
まるで鏡が間にあるように完璧にシンメトリーの老師達は再度シンシアに同時に礼をとった。
「ミスハル、あれを。」
片方の老師が抑揚のない声で命じる。
「うーむ、シャイターンじゃな。これ、離れんか。」
命じられた老師――ミスハルは今にも折れそうな腕で大蛇をむんずと掴みそのまま少年から力ずくで引き離した。
「この蛇はアナタの精霊(ジン)…って訳では無さそうね。まぁ、良いわ。本来後宮(ハレム)に精霊(ジン)を無断で入れるのは重罪だけど助けられたのは事実だし、アナタから礼を言っといて頂戴。」
「下々のものへのお心遣い、民を代表して感謝しますぞ姫。……しかし、このシャイターンはどうやら宮廷魔術師のモノではないようですな。」
「え?」
シンシアの声は怪訝そうで、少し不安の色が滲んでいた。
「とりあえず小僧をどうにかしろミスハル。」
ミスハルが老師の言葉に頷く。
ゆっくりとした動作で持っていた杖で絨毯の床を一突きする。
「うわっ」
元々絨毯は蔦の形をモチーフにしたアラベスクの模様が織り込まれていたものだったのだけれどミスハルの杖が突いた途端緑の蔦が絨毯の模様から抜け出したかのように出現した。
蔦は侍女服を拘束する。
凄い。
まさに魔法だ。
精霊(ジン)ってこんなことできるんだ。
初めてミスハルやキミーが人外の存在であることに実感が伴った。
「あぁ、こいつは預からしてもらおう。」
老師は縛られた侍女服の手を取ると中指にはまっていた指輪を外した。
「レキ!!くそっ!返せっ!!!」
「どうやらレキって言うのは彼のアガシオンだったみたいね。」
私がシンシアに近づいて膝を付くと彼女は小声で話しかけてきた。
「だね。……でもなんで呼んでも出てこなかったんだろう?」
アガシオンって持ち主に絶対服従だとゲイルさんあたりが言っていた気がするんだけど。
「…まぁ、そんな事より今は彼ね。」
「そんな事って…」
「後回しよ。あの蛇もどうやら敵じゃなさそうだし後回し。場合によってはあの男…凄い重要人物よ。」
「どういう意味?」
「まぁ、聞いてみるから見てて……」
そう言ってシンシアは拘束された進入者に向き直る。
「問いましょう。お前、我が国の者に遣わされたのではないですね?」
鈴を転がすような声はいつもとは違う逆らい難い厳粛さを持って響いた。
「我が国の諸侯には今、王宮には強大な対精霊(ジン)の備えがあることを通達してあります。」
え?今宮廷魔術師はリドの実家にいる筈だよね?
備えなんてしてるの?
困惑してシンシアの顔を見たけれど高貴さと厳しさを合わせ持った横顔は真っ直ぐ相手へ向けられていて少しも揺るがなかった。
美形の真面目な顔には妙な迫力がある。
それがシンシアレベルになるともはや怖いくらいだった。
侍女服の侵入者もさっきまではあんなにキャンキャン騒いでいたのに今は気圧された風にシンシアを凝視している。
「それを知らずに精霊(ジン)を呼び出そうとしたことが何よりの証拠。しかし、近隣諸国にまだ我が国の現状が漏れるには些か早すぎる。」
シンシアの出す覇気――これが、一つの国を背負う王族。
私は、思わず息をのんだ。
「何の勝算ももなく王族殺害などと我が国に喧嘩を売る愚かな者はない。ならばアナタの正体で考えられるのは一つ。今、私を殺せばこの国に王家の直系がいなくなることを知る者の一派。さぁ、正直にお言いなさい――」
何か確信があるようだった。
否定を赦さない厳しさで決めつけるようにシンシアは侍女服に問う。
「お前は陛下を拐かした一派の者ですね?」
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