stray

12

お前は陛下を拐かした一派の者ですね?」

シンとした沈黙が一瞬にして落ちる。
いつもならばいたたまれなくなるような沈黙だった。
それでも、私は口を開く。

「シンシア…どうゆう意味?」
「言葉以上の意味はないわ。」
「……そう。」

何故か頭は酷く冷静だった。
激情はなく、ただ静かに床に転がる相手を睥睨する。

「今の話本当なの?」
相手が暗殺者だとか少し前に殺されかけただとか、全てがどうでも良くなっていた。

「あなたは………『お兄ちゃんの敵』?」

「……」
相手は喋らずに只射るような視線を私にぶつけてくる。
目を細める。
あぁ、きっと今自分でもぞっとするような表情をしているんだろう。
床に転がった相手の顔に一瞬にして怯えの色が浮かんだ。


「マナ、こういう手合いは生半可な事では口を割らんぞ。どれ、ここは儂が預かろう。」
のんびりとした老師の声にハッとする。
今自分の頭の中を占めていた冷たくて残酷な感情を振り払うように頭をふる。
「アーシャー翁何を?」
シンシアが小首をかしげながら尋ねた。
「姫君には見せられぬことを少々。ご安心召されよ。必ずやこの老いぼれが陛下の居所を吐かせましょうぞ。」
多少痛い目に遭わせてやりますがな――と穏やかに老師は笑うが会話の内容は穏やかとは程遠いもので、私は慌てて口を挟んだ。

「ちょっと拷問なんて駄目です!」
スプラッタには断固として反対だ。
「ほう…しかし、こ奴はお前さんの兄の行方を握っているかもしれんぞ?」
それでも、なんだかんだ言っても嫌な物は嫌だ。
「拷問以外に方法は無いんですか?」
「無いことは無いが…コレが一番手っ取り早いな。」
確かにお兄ちゃんを取り返すためなら多少の残酷な事も選ぶ覚悟はある。
だけど、やっぱり出来るならば可能な限り穏やかな手段を取りたい。
人が死ぬのも痛い思いするのも避けられるものなら避けたい。
死とか痛みとかは生理的に受け付けないしそれに――

「…これは私の我が儘かも知れませんが、なるべくそういう手段は使いたくないんです。」
お兄ちゃんは正しい人だ。
陽であり、正である人だ。
そのお兄ちゃんを救う手段はなるべくなら正しくありたいと思う。
私が余り残酷な事をやる踏ん切りがついていないのもあるが汚れた手段を使いすぎてしまえば、私は私自身をお兄ちゃんの傍に置くことを許せなくなるだろう。
何よりもし自分が助けられる過程で誰かを犠牲にすればお兄ちゃんは自分を責める。

そんなことであの魂に影を落としたくはない。

「……まぁ、良いじゃろう。ならばコレに尋ねようかのぉ。」
指先で指輪を弄びながら老師は考えるように言った。
「ミスハル、これは?」
「第四位のジンじゃな。」
「ふむ…まぁ、飼い主の名くらいは喋れるじゃろ。」
指輪を懐にしまった老師はミスハルに頭を掴まれたままの大蛇に視線を移す。

「さて…次はこれじゃが…」
それまでの好好爺然とした雰囲気の表情が引っ込んで鋭い眼光が露わになった。

「ミスハル、そいつはお前の同類か?」

暫く考え込んだあと発された問いに大蛇を片手にミスハルが首肯する。
それを聞き、恐れ多いとかなんとか呟いた後老師はシンシアに向き直った。

「姫、足動かせますね?」

その言葉はは質問では無く確認の響きを伴っていた。
無論、私もシンシアも口をあんぐりあけたまま呆然と老師を凝視する。

さっきの殺伐とした空気は霧散していた。
当然私の頭の中からも様々な重要事項がすっぽ抜ける。

「……で、シンシア…実際どう…?」
デリケートな問題なだけにおそるおそる尋ねる。「………………………」
「シンシア?」
「…動かせる…かも…」
「………」
「………」
「……きゃ…」

ゆるゆるとシンシアの瞳が驚愕で見開かれた。

私の視界にそろそろと動かされた足が入る。


「きゃあぁあぁ!!!!」


気づけば悲鳴のような歓声をあげてシンシアに飛びかかっていた。
「シンシア!!シンシア!!」
「ちょっと…なんでアナタが泣いてるのよ。」
渾身の力で抱きしめて、何度も名前を呼ぶ。
体の下からうめき声と苦笑が聞こえた。
おぉ、視界が歪んでるし、頬に何かが伝う感触もある。
口からでるのも所謂涙声だ。
感激の余り涙腺が意識の制御下から離反したらしい。
「いや…だって…」

だって、今まで散々辛い思いしてたんだよね?
ヤなこと一杯言われて、好きな場所に好きなように行くことも出来なくて――

そこから先は声にならなかった。

「よかったね…」
辛うじて呟いた言葉に一瞬だけ驚いた様に瞠目して、シンシアは大輪のバラのように微笑む。
女の私でも思わず見ほれてしまう笑みだ。
嫉妬の感情すら吹き飛んでしまう絶対的な美しさ。
思わず頬を染めた後、私はあることに気づいて勢い込んで言った。

「そうだ!!私、リドに知らせてくるね!!!」
跳ねるようにシンシアの体の上から立ち上がって走り出す。

「ちょっ…マナ!!お待ちなさい!!」
後ろから追ってくる声に振り向いて私は破顔する。
「待ってて!すぐ戻る!!」



学校だろうが王宮だろうが廊下は走っちゃいけないことには変わりはないだろうけれど、今回だけは大目に見てもらおう。
馴染んだ、と言うほど回数はこなしていない道順を辿り、リドの執務室の前まで一気に疾走する。
勢い込んでドアを開け放つと中には見知った顔が二つ並んでいた。

「…お前はノックしてから扉を開けることもできんのか?」
眉間に皺を寄せてリドに溜め息をつかれた。
「ゲイルさん、きてたんですか?」
いつもは多少畏縮するリドの仏頂面も今のハイになっている私には全く気にならない物だった。
王宮以外での王様探索が忙しいらしく最近は見かけなかったゲイルさんはいきなり部屋に飛び込んできた私に柔らかな苦笑をむけてくる。

「はい、経過報告に来ました。それより、そんなに息をきらせてどうかなされましたか?」
なんだかよく分からないけどタイミングが良い。
私は深呼吸してからさっきの出来事を順序だてて話し始めた。

別に冷静だった訳ではなく、ただ単に最後にシンシアの足が動いたという一番のニュースを持ち出してびっくりさせてやろうという幼稚な魂胆があったからに過ぎない。
しかし私の目論見は物の見事に打ち砕かれた。
話の序盤で侍女服の暗殺者が登場するとリドはいきなり厳しい顔で立ち上がり、それまではにこやかに私の話を聞いていてくれたゲイルさんも顔色を一変させた。

「それで!!姫は?!!!太后は?!!!ご無事なんですか?!!!」

ゲイルさんはいつもの微笑みさえ浮かべられないのか、傍目からみてもわかるくらい切羽詰まった表情で私に詰め寄ってくる。
掴まれた肩には爪が食い込んで思わず小さな悲鳴を上げた。
「いっ…痛っ」
「あ。…あぁ、すいません。」
私のうめき声に正気を取り戻したのか、すぐに肩から手が外されるけれど後にも鈍い痛みが残った。

こんなに余裕のないゲイルさんを見たのは初めてだった。
ただならぬ雰囲気に舞い上がりきっていた私のテンションも平常値にまで落ち着きつつあった。
「それで、姫は?」
「無事です。なんかいきなり蛇みたいな精霊(ジン)が現れて…」

そう言えば結局あれは何だったのだろうか。
老師はなにやら心当たりがあるみたいだったけど、答えを聞く前に飛び出してきちゃったしなぁ。

「……兎に角、後宮(ハレム)に向かうぞ。」
私の説明ではいまいち要領が得れないのか苛立ったかの様にリドが言って入り口に向かう。
私とゲイルさんがその後を追う。
―――もしかしたら、事態をややこしくしてしまったかも知れない。

後宮(ハレム)の入口には枯れ枝のような老人の姿があった。
露出している目からミスハルだと知れる。
「ミスハル。アナタがいるという事はアーシャー老師も中に?」
ゲイルさんの問いを片手をあげることで制し、ミスハルは私を見た。
「お前さんだけ入れ。」
「おい…」
ミスハルは怪訝そうに眉根を寄せたリドにも何かを言いたげにしているゲイルさんにも目もくれず私の手を掴む。
「でも…」

引きずられるように歩きだして私は二人を振り返って口を開きかけた。

「へ?」

気づけば目の前にはシンシアと老師の顔があってリド、と名を呼ぼうと開いた口からは間の抜けた声だけがでる。
何が起こったか理解が出来なかった。
二、三度瞬きをして、シンシアと老師とミスハルを何度も順番に見つめた。
「この、お馬鹿。」
そうか、これも精霊(ジン)の力かと思い当たった時シンシアがちょっと怒ったような表情で手招く。
「アナタこの子を殺したくないんでしょ?!リドなんかに知らせたら、普通に処刑されちゃうのよ!!!」
傍に寄ると思いきり頭をはたかれた。
「うっ…ごめ…ん。」
そうか。
余りの嬉しさに飛んじゃってたけどよく考えなくても侍女服の彼は間違う事なき大罪人だ。
拷問とか総てを置いておいたとしても死罪は避けられないんだ。

「まぁ、いいわ。今回だけは私がどうにかしましょう。アーシャー翁、母上へは?」
「姫のお好きにと。」
「そう。いい、マナ?この子は後宮(ハレム)から一度出れば極刑は避けられないの。だから、此処で飼う事にしたわ。」
ぞっとするくらい艶やかに笑ってシンシアは言った。
床に這い蹲った少年は、蔦で体の自由を奪われている上に轡をかまされて床に転がされている。
「本当は此処に男が入るためには去勢しなきゃならないんだけど……そのまま侍女の格好してればまぁ、良いでしょ。あぁ、話さなくても良いわ。精々愛玩動物として可愛がってあげる。」
女王様だ。
間違った方向での女王様が此処にいる。
レザーのボンテージを身に纏い鞭を持ったシンシアがふと脳裏に浮かぶ。
あながち似合わないと言い切れないところが怖ろしい。

「マナ、アナタの世界で一般的なペットの名前とかある?」
急に質問をふられたとき、私の頭の中では、間違った方向の女王様スタイルのシンシアが高笑いを響かせていた。
そのせいでその言葉の真意を深く考えることもせず従順に答えてしまっていた。

「え…ポチとか?……って、ちょっと…?」

「じゃあ、アナタは今日からポチね。」

輝いていないのが不思議な位、文句のつけようのない笑顔と共に侍女服の彼の新たな名前が決定した。

……でも彼も死ぬよりはいいだろう、と思うことにする。

「……で、どうやってお兄ちゃんを浚った人達のことを調べるんですか?」
「おぉ、そうじゃった。」
白々しく会話が再開される。
「こやつに聞こうと思うんじゃ。」
老師が掲げたのは侍女服改めポチが持っていた指輪だった。
「アガシオンを持ち主以外が呼び出すのにはそれなりに準備がいる。明日までにどうにか用意を整えよう。明日リドと共に儂の所へ来るがよい。」
「わかりました。あれ?そう言えば蛇は…?」

私が飛び出す前はミスハルが持っていたけど今は跡形もない。
「それなんだけどねぇ…」
今まで楽しげにポチ君を見下ろしていたシンシアが顔をあげて困ったような表情をつくる。

「私、マジュヌーンだったらしいの。」

「へ?」
「マジュヌーンになると精神崩壊を初めとする弊害があるのだけど私の場合はそれが足が動かなくなるってことだったみたい。」
「はぁ…」
「儂の場合も憑かれたての頃は目が見えなくなったり色々あったんじゃが。」


まったく話が見えないけれど、兎に角シンシアには老師みたいに精霊(ジン)がついているらしい。
そしてそれが原因で歩けなくなったというのなら――
「じゃあ、憑いてるのを祓っちゃえば…」
「それはそうじゃが、これから先も姫を狙う者が現れんとも知れん。アガシオンは命令がなくば何もせんが、マジュヌーンに憑いた精霊(ジン)はマジュヌーンを守るために死力を尽くす。姫の御身の安全の為にはこのままの方がよいんじゃよ。」
シンシアの身の安全の為だと言うのなら、それはそれでいいけれど。「何で、そんなにしてまで守ってくれるのに、足を動けなくしたりするんですか?」
この間も思った単純な疑問。
「それを知りたいなら、マナ。アナタも私と翁の授業を受けましょうよ。あのね、きちんと使役できるようになれば、マジュヌーンのままでも足が動くようになるらしいの。そのためにいろいろ翁から教わろうと思うんだけど…一緒に勉強しない?」
それなら、とシンシアが提案してくる。
ただ、口調は軽い感じなのにその眼は怖いくらいに真剣だった。
どうしたんだろう?
「…多分その方が良い。」
「でも…」
私にはあくまで必要ない知識と辞退しようと思ったのに――
なんだかそれが許されない雰囲気だ。
「いい?多分アナタが思う以上に事態は複雑なのよ。私は今まであんまり政りごとにはかかわってこなかったから断言はできないんだけど。」
いや、今でも私には十分ややこしい事態なのですが、と茶化す前にシンシアが強い口調で言う。
「お願い。」
「シンシアどうしたの急に?」
「アナタには自分で気づいていない『利用価値』があるの。…本当は私はこれを言うべきではないのかも知れない。私はこの国の王族だから。でも、私にはハルに大きな借りがある。そして、今、私は『アナタに助けられた』。だから、教えておくわ。アナタが今唯一持つその利用価値の事を…。」
私の利用価値?
「ごめんなさい、これ以上は言えない。私は王族としてアナタを利用しなきゃいけないから。」
「私には…」
何も――
「ここから先は自分で探して――でも全部解かなきゃ多分ハルは救えない。」

それまで静観を決め込んでいた老師が口を開いた。
「陛下が精霊王(イブリース)を呼んだ理由を探れ。そして、お前さんに唯一残された、精霊王の欠片を。」

「カケラ?…それが私の利用価値?」
思わず呟いて、でもその呟きは頭の中で即座に否定される。

何も、残していない。
全て捨てた。
己に望まれるもの全てを。

「それは違う。」
私の思考を肯定するようにミスハルが言った。
私はぼんやり視線をミスハルに向ける。
今までのミスハルの言葉は老師の言葉だった。
でも、この言葉だけは――これはきっとミスハルの言葉だ。

「お前にはもう何もない。それでも…我らはお前を恐れる。」

殺戮の王よ―――
呼びかけの言葉に目を閉じた。

何もわからない。
けれど――

「わかった。全部解くわよ!!解かなきゃお兄ちゃんを救えないなら全部解くわ!!!」

叫ぶように言って、目を開く。
私が精霊王(イブリース)であったことは変えられない。
そのことがお兄ちゃんを危険にさらすというならば――

全てをもう一度断ち切ってやる。


その時リドとゲイルさんが部屋に入ってきた。

私の気のせいでなければ、その時リドの顔に浮かんだのはまぎれもない安堵の表情だった。

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