stray
15
「申し訳ありません…急いでおりますので…」
「あぁ…すみません…」
声をかけた六人目の侍女さんの後ろ姿を見送りながら私は溜息をつこうとして、それすら煩わしくお手数をおかけしましたと口の中で呟いた。
最近顔パスになりつつある後宮(ハレム)の廊下に立ち、通りかかる侍女さんに片っ端から声をかけ続けること数十分。
バカ正直に(だって何て言えば良いかわからないんだもん)先王の死に関して訊ねている訳なのだけれども未だ収穫はゼロ。
否、全くのゼロと言うわけではない。
『何かあった』と言うことは痛い程良くわかった。
私は最近よくシンシアに招かれているし、世間的にはリドの隠し子だとか愛人だとか荒唐無稽過ぎて愉快極まりない噂も流れているせいで後宮(ハレム)の女官達は概ね私に対して丁寧な物腰で接してくれる。
訂正することなくそこにつけ込んで無礼極まりない質問をしている訳なのだが、先王について訊ねた途端皆一様に青ざめそそくさと逃げ出していく。
昨日の言い方では誰かに尋ねればすぐわかるみたいな言い方立ったのに――
「リドの嘘つき…」
恨み言の一つや二つ漏れようと言うものだ。
「酷い言われ様だね。」
当然の如く独り言として漏れ出た呟きに返された反応に私は心底びっくりしつつ慌てて振り返った。
「おや、驚かせたみたいだね。ごめんごめん。」
玲瓏とした声で笑いながら、廊下の向こうから人が一人歩いてくる。その姿を目にし、私は思わず僅かに目を見開いた。
ここは男子禁制の後宮(ハレム)だから、その人物は口調とは裏腹に女性な訳だが彼女はまるで体重がないかのように足音もたてずに私の前に立った。
長いドレスは黒。
靴も黒。
手袋まで黒。
ついでに真っ黒なベールまでしている。
そのベール越しからもわかる程に赤く、形の良い口唇が優雅に曲線を作った。
「ここの娘達はみんな王族に近しいからね。陛下がお隠れになってまだ一年なんだから、無責任で面白可笑しい噂を聞きたいならば外宮で警邏の者とかに聞くと良いよ。」
「あの…」
「私でよければ少しお話するけど?」
「え?」
ついておいでと言われ辿り着いたのは後宮(ハレム)の庭にあるベンチの一つだった。
「先代の崩御は八ヶ月前、朝議の席で急に苦しみ出されたと思ったらその姿は忽然と消え、そして王宮前の広場で無惨なお姿が見つかったんだ――首と胴が泣き別れてね。」
たおやかな手で首を切る仕草をし、凄惨極まりない話題さえもを歌に聞こえる声で告げる。
「うちだけじゃないよ。最近他国でも多いんだ『王族殺し』。」
ふふふ、と笑みを深くしたのがわかった。
まるで厚い雲の切れ間から陽光が漏れ出たかのように辺りが明るくなったような錯覚に陥る。
ベール如きでは隠しきれないような圧倒的な存在感の美。
「人間業じゃないよねぇ……詰まりは精霊(ジン)の仕業ってことだよ。」
もしかしたら――否、多分この人は――
「た…いご…さ……」
呼ぼうとして瞬時に気圧される。
紅唇の優雅な曲線はそのままに向けられたのは完全な敵意。
「だから嫌いなんだ精霊(ジン)は。私達が必死に積み上げてきた物を訳の解らない尺度で滅茶苦茶にする。魔力なんて曖昧なものでどんな罪人にすら力を貸すくせに――」
「…力ってそう言うものだと思います。魔力も権力も変わりありません。要は使う人が問題であって精霊(ジン)は関係ないと思います。」
気づけば反論していた。
それに対する反論はあくまで軽やかな口調だった。
ただ、その裏の剣呑さや悪意は完全に透けて見えた。
「権力は民の総意によってもたらされるのだよ。権力や財力や兵力…いずれも民意に背いて行使すればいつか必ず取り上げられる。けれど魔力は違うだろう?民意による万の兵さえマリードを従えた一人の我が儘に叶わない。」
そんなもの知るかと叫び出したいのを喉元で抑え、この目の前の貴婦人が一体何を言いたいか考える。
「…何が言いたいんですか?」
「簡単だよ。人の持っていい力の範疇を越えた力を持つくせに、それを簡単に人に貸す精霊(ジン)への恨み言だよ。どんなに善政を敷こうがどんなに正義に乗っ取り完璧な作戦をたてようがマリード一柱を従えた者のお気に召さなければそれで終わりなんだ。馬鹿馬鹿しいと思わないかい?」
「それは…」
「異世界から来た君に教えといてあげる。王族や軍関係者は須く精霊(ジン)が嫌いなんだよ。」
敵意を引っ込め、目の前の人物はふふふ、と再度笑った。
「私達も、リドワーンも精霊(ジン)なんて大嫌いだよ。」
「リド。」
書斎の戸をノックして開けた。
「あれ?ゲイルさんも来てたんですか?」
「お邪魔してます、マナさん。密使派遣の事で少々打ち合わせがありまして。」
私の家じゃないからいらっしゃいと言うのも筋違いな気がして曖昧に笑う。
「じゃあ、私の方が邪魔かな?」
仕事の話題ならばいてもまぜっかえすことぐらいしかできないし。
「どうした?」
手元の書類から顔を上げながらリドが訊ねてくる。
「いや…昨日の答え合わせ。」
灰色がかった緑の双眸を細めながらリドは扉の外――正確にはその先の炊事場を指さした。
「マリアに聞いてもらえ。あいつも知っている。…やはり、ここは人数を絞るべきか?」
「えぇ、まだ正式に陛下のご不在を発表しない以上大規模なものでは宰相をはじめとする宮廷の高官達の目を欺く事が難しいでしょう。」
二人が仕事に没頭し出すのを横目で見て、言われた通りにマリアさんの所に行こうと踵をかえそうとした。
「…どちらにしろ太后にお伺いをたててからだな。」
太后、の単語に自然に足がとまる。
思い出すのは先ほどの奇妙な邂逅。
―――結局決定的な事は何一つ聞けなかった。
生まれて初めて向けられた純粋な敵意に私の思考回路が一時ショートを起こしている間にあの黒ずくめの女性は先程までのやりとりが夢であるかのようににこやかに、またねと一言言い残して去っていったからだ。
――でも、そうだよねぇ?
だって先代の王様こと陛下って呼んでたし。
「ねぇ、太后さまって全身まっ黒で微妙に男口調の人?」
顔は見えなかったからそんな特徴しか言えなかったけれど二人は解ってくれたらしい。
二対の視線が同時に私に注がれる。
「お会い…したんですか?」
「多分。」
「後宮(ハレム)で黒ずくめならば間違いないだろう。太后は先王の喪に服しておられるからな。」
「顔はベールで見えなかったんだけど…そっか、あの人がシンシアのお母さんなんだ。」
なんとなく雰囲気というかオーラは似ていた気がする。
一昨日ポチ君(そう言えば今日はシンシアのところに行かなかったけど彼はどうなったんだろう)を尋問したときのシンシアの雰囲気など太后にそっくりだった。
「マナさん。」
堅い声で名前を呼ばれ私はゲイルさんを見上げた。
「シンシア姫は寛大にも気安い態度をお許し下さっているようですが、太后陛下に決して失礼な態度をとってはなりませんよ。」
そう、諭すように言ったゲイルさんの表情の真剣さに思わず気圧されて頷く。
そっか、あの人はこの国の最高権力者の生母なんだっけ。
そのまま部屋を出ようとした寸前、ドアを閉めに来てくれたゲイルさんは尚も小さく呟く。
「リドの為にも…ね…」
どう言う意味か問おうと慌てて振り向いた時には書斎のドアは既に堅く閉ざされていた。
マリアさんは居間にいた。
私が事のあらましを告げると淹れたて紅茶とお手製のリンゴのパイを出してくれ、食卓の椅子に着くように促してくれた。
パイ生地が怖ろしくサクサクで中のリンゴがトロトロのアップルパイはこのまま売りに出せそうな出来で、異世界に来て居候するのがここで良かったとしみじみ感謝させるほどの出来だった。
「そう、リヒトだったの…密使をおくるのね…まぁ、妥当かしら?」
「リヒトになんか恨まれることしたんですか?」
「さぁ?一介の女中には計り知れないわ。」
さくっと音をたてて崩れたパイを口の中に放り込み、一度紅茶で喉を潤して私は本題に入ることにした。
「マリアさん、王様が私を…いえ、精霊王(イブリース)を喚んだ理由って、『王殺しの精霊(ジン)』から身を守るためですか?」
単刀直入に告げるとマリアさんはゆっくりと頷いた。
その精霊(ジン)は俗に『王殺し』と呼ばれているらしい。
特徴は衆目の前に王の遺体を曝すこと。
王の崩御を誤魔化すこともできず、国の要たる存在を無惨なまでに踏みにじられて、『王殺し』が現れた国は混乱の極みに突き落とされると太后は言っていた。
父親が正体不明の精霊(ジン)に殺されて、狙われるかもしれない否、大国の王なんてこれ以上なく狙われる立場になって。
だから王様――ソーマ君は実在しないかもしれなくても精霊王(イブリース)を喚ぶしかなかった。
死にたくなくて、怖ろしくて。
「実際ね、陛下はまだ戴冠式を行っておられないの。太后様が、先王様の喪が明けるまでは……って、でもきっと本心は王位に就いたら殺されるって思って怯えていらっしゃる陛下を哀れに思われたからそんなことを仰られたと思うの。」
戴冠してしまえば王として逃げられないから。
喪が明けるまでの一年はきっと覚悟を決めるための時間として渡された猶予だったんだ。
哀れだと思った。
その与えられた一年を現実に向き合うのではなく伝説の存在に縋りついて――
「でも私は守ってあげられるような力なんてないのに…。」
苦々しく、と言うよりは痛々しく呟いた。
別に私が申し訳無く思う必要なんてないのに胸が痛んだ。
マリアさんがふっと、笑ってくれる。
「気にしなくていいのよ……だってリドたちにはアナタが実在してるかなんてどうでも良かったんだから。ただ、精霊王(イブリース)という救いを得て、陛下が壊れずにいてくれるならそれで良かったの。」
「壊れるって…」
そんなに追い詰められていたのだろうか。
私は命を狙われたことも、命の危機を感じた事もないからそれがどれほどのことかわからなかった。
「……待って下さい…そんなにたくさん王族を殺してるような精霊(ジン)に浚われたかもしれないのに何でみんな冷静なの…?」
そんなに前科あるならば王様だってきっと――。
お兄ちゃんだって――
一瞬にして血の気が引いた。
マリアさんは私のその変化に気づいたのか殊更安心させるように穏やかに言葉を紡いだ。
「これまで見てきて『王殺し』が秘密裏に王を殺した事はないわ。」
「でも…」
「それに『王殺し』の目的はきっと王を殺す事じゃなくて国を混乱させることだと思うの。だから他の国では王と同時に王位継承者も殺されたりするけど、うちはそういうことも無いし。現に今も裏はともかく表は平和そのものでしょう?」
王位継承者と言われて真っ先に思い浮かぶのはリドの顔だった。
「それは…リドのこと?」
「えぇ。絶対本人は認めないだろうけど、万が一陛下が暗殺されてもリドが王位につけばこの国は揺るがないもの。」
それでも私の不安は払拭されない。
むしろ犯人が今までにも何人も人を殺してきた奴だと知ったことでいてもたってもいられなくなる。
イライラを少しでも抑えようと髪を乱暴に掻き混ぜてみるが大した効果はなかった。
「大丈夫。犯人がリヒトならばまず殺されることはないわ。」
マリアさんは硬い顔のままそれでも僅かに微笑んで言った。
「リヒトの現王は太后の生国に縁のある国だったと覚えがあるわ。陛下を殺せば次の王はリヒトに全く縁のない王になるんだから。大国との縁は小国にとっては命綱何だから簡単には切れないはずよ」
「リドは…何であんなに落ち着いていられるんだろう?」
私には結局何もできない。
自分の無力さに打ちのめされつつ脱力感に襲われる。
「そうでもないわ、あの子もだいぶ苛々してるわよ。」
お酒の量増えてきてるし、と言ったマリアさんの言葉を聞きつつふと、太后との会話を思い出す。
――私達も、リドワーンも精霊(ジン)なんて大嫌いだよ――
太后は私に明らかに敵意を持っていた。
私がいくら精霊(ジン)ではないと主張したところで彼らにとっては関係ないのかも知れない。
リドの苛々の一端は、私が、大嫌いな精霊(ジン)が傍にいることが原因かもしれない、そう思って私は更に暗澹たる気分に陥った。
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