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16

夕飯時になってマリアさんは台所に行ってしまった。
手伝いを申し込んだが丁重に断られた。

「アナタ酷い顔してるわ。」

休んでらっしゃいなと言った言葉に甘えさせてもらい、ダイニングのテーブルに突っ伏す。
取り敢えず一つの疑問は解決した訳だけれども考えなければならないことはまだまだ沢山ある。

ある――筈なのに思考は驚くほど鈍かった。

お兄ちゃんの誘拐犯の正体ともしかしてリドに嫌われているかもしれないと言う仮定。

前者は当然の如く頭がクラクラするような不安を私に与えた。
まるで自分の立っている地面が崩れていくような絶望感にも似た不安感はお兄ちゃんがいなくなってから何度も味わった者だけれども一向に慣れない――たぶん一生慣れないだろう。

そしてもう一つの後者は絶望感などではなくただひたすら心細さを私に感じさせた。
リドに疎まれたら私はこの世界の居場所を失ってしまう。

「召喚主(マスター)…」

絞り出すように呼んだ名がいつも呼ぶ名前ではなかったのは無意識のことだった。
それが指し示す意味にますます頭が痛くなる。
たとえ、嫌われてもリドが私を喚びだした理由が理由だからと言うことを自分に言い聞かせるための無意識の内の自己防衛の発露があの召喚主(マスター)呼びであろう。

元々私とリドの――成り行き上の主従間には好悪の感情など必要とされていない筈なんだから。
自分に言い聞かせるような思考に潜む言い訳臭さにはこの際目を瞑る。


「お兄ちゃん…私…」

人に嫌われることは怖い。
人に畏れられることは、疎まれることは、憎まれることは怖い。

今、この世界においてただ一人何があっても自分を嫌わないで好きでいてくれると信じさせてくれる人の名前を呟いた。それだけで戦う勇気が湧いてくるのを自覚して、丁度その時タイミングよく食堂に入ってきた人の気配に顔を上げた。




「…ゲイルさんは?」
「帰った。」
素っ気ない言葉と共にリドは私の前の席についた。
そのまま強い視線が射るように私に向けられる。

「正解したか?」
「うん。前王様は精霊(ジン)に殺された。そいつは今の王様を狙っているかもしれない。だから、王様は――ソーマ君は最強の精霊(ジン)を呼び出して自分の身を守りたかった。でしょ?」

黙って私の言葉を聞いていたリドが眉をしかめる。
「正解だが……何故陛下に君付けだ?」
「駄目?」
「お前は太后といい陛下といい姫といい、王族に対する敬意が欠如している…まぁ、ハルに比べればマシか。」

そりゃあね。
お兄ちゃんなんか敬意の欠片も払わなかったでしょうよ。
そう言うのに鈍感な人だから。

「私たちの国には絶対的な支配者なんていなかったからね。」
何となく、王様に向かって敬語を使わないお兄ちゃんとそれに小言をいうリドがありありと想像できて、私はクスリと笑った。

「でもね、私考えるんだ。もしお兄ちゃんが召喚されていなくって、ただ何かの事故で私が此方に来ただけなら私もっと小さくなっているよ。」

それこそ目を瞑り、耳を塞ぎ、ただひたすら泣きながら元の世界に返して貰えるのを待っていただろうに。
基本的に私は小市民的な性格をしている自覚がある。

なのに何の因果か今の私は曲がりなりにもこちらの事を知ろうとしているわけだが。
勿論泣いている暇もあるはずが無い。


「……そうか、お前はハルの為にならこの国を犠牲にするんだったな……」

そう言った時のリドの顔は怒りを耐えているようにも笑いを耐えているようにも見えた。
そう言えばそんなことも言った気がする。


――あぁ、これでまたリドに嫌われる原因が出来た。

なんだか聞いたところでどうにもならないけどこの際はっきり問うてしまった方が楽になれる気がしてきた。
ヤケを起こした、と言い直しても良い。

だってまだまだ考えなきゃ行けないことは沢山あるのにリドに嫌われているかどうかを気にしてグダグダしているのは時間の無駄だと言うものでしょ。

思いついた勢いで嫌な事は済ましておくに限る。
意を決し私は口を開いた。

「ねぇ、リド。リドは私のこと…」



「お待たせっ!!お夕飯できたわよ!!!」

夕飯を乗せたカートを押しながらマリアさんが食堂に走り込んで来たのはその時だった。

「…なんだ?」
不自然に固まった私を怪訝そうに見やりリドが尋ねてくる。
「………ごめん。なんでもない。」
完璧に勢いがそがれる形になり、それ以上言葉は続けられなかった。
リドは少し眉を顰めはしたもののそれ以上踏み込んでは来ず、湯気を立てるスープが配られる間に私は落胆とも安堵ともとれる溜め息をそっとついた。




次の日、私は後宮(ハレム)のシンシアの元に行った。
シンシアは何故昨日は来なかったことに不満を言いながらも機嫌は良さそうだった。
「で、今日はポチに会いに来たのよね?」
「うん、話出来るかな?」
「さぁ、舌噛まれないように轡噛ませてるからわからないわ。隣の部屋に転がっているから見てくれば?」

扉はついていない続きの部屋の入り口を指し示され私はそちらへ向かうことにした。

ポチ君にお兄ちゃんの事を聞こうと思いついたのは不安で一睡も出来ずに迎えた明け方のことだった。
密使が帰ってくるまで断定ちは行かないがリヒトが誘拐犯の最有力容疑者ならば、一番お兄ちゃんに関する情報を持っている可能性があるのは
間違いなくポチ君だ。

リドや太后様の事は取り敢えず置いておくことにした。
どうせお兄ちゃんを取り戻したらすぐに日本に帰ってもう一生会うことのない人たちだ。
それよりお兄ちゃんの事の方がずっと重要だという結論に達した。



この部屋と同じく暖簾のように薄い紗で遮ってある入り口に立ち、何気なく紗をかき分け、そして固まった。

「えっと…シンシア?」

「可愛いでしょ?肌綺麗だし髪綺麗だし体型も中性的だから飾りたてるのが楽しくって楽しくって。」

振り返り問えば、心底楽しそうに笑い答えたシンシアは何時もならば思わず見惚れる位に綺麗であった…が、今はあらゆる意味でそれ以上に衝撃的な光景が目の前に広がっており、私に出来たリアクションは生憎、愛想笑いに失敗して頬の筋肉を痙攣させる事だけだった。

「何かエロい…」
とっさに漏れ出た感想がそれの時点でどうかと思うが仕方あるまい。
って言うか『何か』じゃなくて真面目にエロい気がする。

先程の台詞からシンシアが昨日ポチ君で着せ替え遊びをしてたのは伺えたが――センスは良いと思うけどやっぱりアレだ。
今ポチ君が身に纏っている服はやけに露出度が高いサテン地のようにキラキラした布の服であった。

あれだ。
例えるならば某巨大鼠が率いる映画会社の三つの願いをかなえてくれる青い人が出てくるお話のお姫様の格好。
そういや、あの青い人も精霊(ジン)なんだよね。
今なんかスッゴい親近感が湧いた。どうでもいいけど。

黄色人種からすれば艶めかしい程白い肌の細い(あの腰の細さには殺意さえ覚える)肢体には色々オプションが付属されていた。

こないだ会ったときに着ていたのが禁欲的な印象をうける侍女服だっただけにギャップが凄い。
まず化粧がかなり施されている。
その赤髪を飾る装飾品の数々はとても高そうだ。

いや、まあ、ここまではゆるそう。

問題はその先、ポチ君の両手は高く上に掲げられ一カ所に纏められていた。天井からのびる金色の鎖によって。
金色っつーかあれ純金製かも知れない。
この世界にまさか金メッキの技術はあるまい――あるかもしれないけどあれは見るからに高そう。

そして口枷も金ピカだった。
金ピカだけでなくいくつも色とりどりの宝石がはめ込まれている。

――なんて無駄なとこにお金をかけているんだここの王族は。

あと後宮(ハレム)は男子禁制だし女装させるのはわかるけれどいくら何でもこれはやりすぎだろうに。
似合ってないかと言われれば全力で否定せざるを得ないけど今の問題はそこではあるまい。
間違いなく今この部屋の空気は紫かピンクに色づいているだろう。



怒濤の如く脳裏を過ぎる思考はしかし一つも言葉にならない。

話をややこしくするのはゴメンだった。

ポチ君は私を見止めると何らくぐもった声を上げた。
苦しげなその声もまたアレな感じで思わず頬が熱くなる。
苦しげに寄せられた眉と微かに潤んだ瞳は物言いたげで――もしこの状況を打破するような苦情をシンシアに言うことを求められているならばごめんなさい。
全力でスルーさせて下さい。

「大分おとなしくなったけど、まだだいぶ躾不足だから話聞くのはもう少したってからのほうがいいかもしれないわね。」
買ってもらったばかりのお人形を見せびらかす子供と同じ表情でシンシアは笑う。

『躾』の部分には断じて突っ込まないことにして(なんか聞いたらお嫁に行けなくなりそうな気がする)私は従順にトボトボとシンシアの元に戻った。
女子校育ちの女子高生には些か刺激が強すぎますシンシアさん。


いけない。このままではここに来たのが無駄足になってしまう。
何か別の手掛かり探さなきゃ――

「そうだ、シンシア。この間言ってた『例の噂』って何?」
結局ポチ君が乱入してきて聞けなかった話題を持ち出してみる。

「あぁ、あれね…母上がリドを警戒している理由ね。」
ゴクリと息を飲み身構えながら次の言葉を待つ。

「母上を娶られてから父上が他の妃を後宮(ハレム)から追い出したのは知ってる?」
「まぁ。一応。」

「その時、追い出された妃の中にリドの母親、現ローゼンベルク公爵の一人娘がいるの。」
「え?」
「そして、リドの母親は後宮(ハレム)を出た直後先王の王弟に嫁いでるわ。まぁ、そこまでは実家が実力のある公爵家だし変でもないんだけどね。ただ、一年もたたないうちにリドが生まれてるのよね。」
必死に頭を働かせると浮かび上がってくるのは一つの推理。

思い出すのは宰相との会話。

母の恨み。

「それは…リドが先王様の…?」

そうすれば確かに繋がる。
そしてもしそうであるならば、老師も言っていたではないか。
この国では『長男相続が絶対』だと。


「噂よ。父上のしたことがしたことだから反王派がここぞとばかりに『先王の御落胤』をねつ造したから、この噂はリドにだけじゃなくそこらじゅうに転がっているの。リドとソーマと母上が仲悪いせいでこれだけ妙に外野が騒いでるだけ。」

「でも」
確かに説得力のある話ではある。

「大体そうならばリドの祖父の公爵が黙っていないわ。外戚になれるチャンスよ?義があるならば王の我儘ぐらいひっくり返す力があそこの家にはあるもの。逆にいえば王位を主張しないことがリドが王弟の子供だっているこれ以上ない証拠ってわけ。」

以上と言いきったシンシアをよそに私の心からはわだかまりが消えなかった。

――火のない所に煙は立たない――

はたしてこの格言はこの世界でも有効なのだろうか。
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