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17

何となくこのまま放置しといてはいけない気がする。

万が一にこの『噂』が本当だった場合、王様がリドを王宮から追放される可能性だってある。
お兄ちゃんをあちらに送り返せるのがソーマ君だけならば、私を返せるのはリドだけなのだ。

一時的なものとはいえ、召喚主(マスター)の身に降りかかる火の粉を払う必要がある。


取りあえず、真実ぐらい知っとかなきゃいざという時対処ができない。
と、言ってもさて、どうやって調べようか。

いくらシンシアが王族だと言っても事が起こったのはシンシアが生まれるずっと前だ。
リドが何歳かは知らないがシンシアとは一回り以上離れてたっておかしくはない。

他に顛末をキチンと知っていそうでなおかつ私に教えてくれそうな人――といったら私に選べる選択肢なんて端からない。
まず知り合いの絶対数が少ないんだし。
リドやゲイルさんやマリアさんは知っていたって教えてくれっこない。
それ以前に赤ん坊が自分の身に起きた事態を正確に把握してたら怖くて仕方がない。

一番確実なのは事件の中心にいた当事者の一人、太后さまに聞く事ではあるが

――『精霊(ジン)なんて大嫌いだよ』――

ずきりと胸が痛んで私は無意識の内に握り込んだ拳に力をいれた。

――今それを気にしたって仕方がない。
兎にも角にも太后様は問題外なのは確かだ。
私にはこの広大な後宮(ハレム)のどこに太后様がいるかさえ知らないんだから。

ならば――当時から後宮(ハレム)の秘密さえ手に入れられそうな地位にいた人に聞くしかない。



そして、その機会は意外と早く、正確には私がシンシアから『噂』を聞いた次の日に訪れた。














朝食の席で私はリドとマリアさんといつものように朝食を囲んでいた。

食べ終わって食器を流しに運ぼうと立ち上がった瞬間マリアさんは満面の笑みでそれを制し言った。

「そんな事はやっとくから早く身仕度してらっしゃいな!この日のために新作作ったんだから!!!」

私の服のレパートリーにマリアさんお手製の服が入ってきて暫く立つ。
こちらに来て十日。
与えられた部屋にある洋服ダンスの中身は日々増加の一途を辿り、一銭も出してない無駄飯喰らいの居候の顔を青ざめさせるのに十分な量に達しつつある。
ホント幾らぐらい使ったんだこの人と心の中で力無い突っ込みを入れつつ説得に説得を重ねやっと新たな服を買うのをやめさせることに成功はしたが代わりにとばかりにマリアさんが自ら作り始めた。

どうやらマリアさんは私で着せ替え人形ごっこを楽しんでるらしくこれ以上は何も言えなかった。
もはや、私に出来ることは既製品以上の出来映えの服を出来るだけ汚さないようにするだけなのである。

「新作ですか?」
しかもいつもより気合いの入ったって。
いつものも十分素敵なのにあれ以上って――

そして渡された服はいつもより裾の長いドレスと言っても差し支えない物だった。
それでもシンプルなモノを好む私にあわせてか装飾過多と言うこともなく上品に纏められている。
相変わらずセンスがいい。
それでもドレスはドレス。
現代の女子高生がコスプレか学芸会以外で着用できないゴージャスさだ。
これを――着ろと?

「えっ…?こんな綺麗な物きて舞踏会でも行くんでしょうか?」
答えたのはリドだった。
「アーシャー老師のところだ。今日から姫に精霊の事をお教えになる。お前も同席させて頂けるんだろう?」
「そうよ!!姫のご学友にみすぼらしい格好をさせたとなれば私と!!リドの名が廃るわ…!!!早く着替えてらっしゃい!今日は髪も結いたいから!!」

何だか戦闘態勢に入ったようなマリアさんに気圧されつつも一応反論を試みる。
「別にそんな…老師の所だってシンシアと会うのだって何時もの事だし…。」
私だって女の子だしドレスを着てみたいと言う気持ちは勿論あるけど。
そんなに気合いを入れるイベントではない筈なのに盛装し過ぎな気がするんですが。


「いいから早く着替えてこい。」
焦れたようにリドが低く言っくる。
その声で二対一、反論さえ封じられる。


言われるままに着替えてくればマリアさんは宣言通りに櫛を手に待っていた。
てっきりどこのベルばら?とばかりの頭にされるかと身構えていたけれどマリアさんは手早く髪を梳くとハーフアップにまとめてくれただけだった。
盛大に結い上げられる事こそ無かったもののちらりと見えたバレッタが金色に輝き煌めく石がハマった物であったのには参ったけど。
まぁ、頭の後ろだし自分では見えないのが唯一の救いだが――落としたらどうしよう。

「何で今日はこんなにお洒落するの?」
よく見るとリドも今日はいつもの軍服より立派な型の軍服を着ている。「今日は老師が姫の元に行くのではなく姫が老師の所へ行かれるからな。姫が後宮(ハレム)の外に出るのが実に二年ぶりだぞ。諸侯が一目そのお姿を見ようと群れてくるのは目に見えてるからな、護衛の数も増やすし俺が指揮に当たる。」

どうやら、シンシアはマジュヌーンになってから引きこもりになっていたらしい。
だから、ほとんどの家臣たちにとって死亡説すら囁かれていた姫の生存を確認するまたとない機会と言う訳らしくその分警護も大変と言う訳か。

その言葉の通りいつもは静かな王宮の廊下が今日は人であふれていた。

そこにいたのは二種類の人だった。
無言で立つ警護の兵士達と、声を潜め何事かを話し合う立派な身なりの男達。

リドが姿を見せるとさざ波のようなざわめきがあたりを支配する。

と言っても兵士たちは微動だもせずただ深く頭を下げただけでこちらを見やる目も囁き合う声も男たちの物だが。
普段は侍女や下男が多いその好奇の視線の主達は今日ばかりは見るからに地位の高そうな衣服を纏った男たちがほとんどだった。

「俺は後宮(ハレム)まで姫をお迎えにあがる。お前は先に老師の部屋に行っていろ。」

立ち止まり後ろを振り返り言ったリドの言葉に私は内心で毒を吐いた。
着なれないドレスの裾を踏んで転ばないように気をつけながらこの珍獣を見るような視線の海の中をまだ遥か遠い老師の部屋まで一人で行けと?


と言っても今はここではきちんと礼をつくすと取り決めた衆目の前。
いつものように文句を言う事もままならず、私は従順に頷いた。
「…………わかりました。」
ただ、答えるまでにたっぷりの間をとって不満を暗に伝えるのは忘れない。


リドは空気が読めていないのかもしくは気づいて黙殺しているのかただ普通に頷いてさっさと行ってしまった。
途端、今まで分散されていた視線が一つにまとまって私に注がれる。


速く歩こうとすれば転ぶ自信があるからスピードを出せず、それでもできるだけそそくさと歩く。老師の部屋には一度しか行ったことはなかったがそれでも老師の部屋まで続いているらしい人垣のおかげで迷うことはなさそうだった。

それにしても、何人いるんだろう?
一向に終りが見えない。

皆私に話しかける機会をうかがっているような家臣達の前を歩いていく。
部屋が見えてきたときは心底ほっとした。
扉の前に詰めていた兵士が格式ばった敬礼で迎えてくれる。

扉が開かれ、私は中に入った。
中には老師とミスハルがこの前と同じように合わせ鏡のように座っている。

「よう、来なさったな。外は仰々しいが無事につけたようで何より。」
「お邪魔します…凄いですね。」

老師が声をたてて笑いながら説明してくれた。
「二年間『病』だった姫が回復なさり先代の宮廷魔術師の元にお渡りになる。その上陛下は行方不明らしいし、唯一のご学友は出自も不明な異国人。誰だって気になるじゃろう?」
そう言えば私は出自の不明な異国人でしたね。
そんなどこの馬の骨と知れない者を他の人には何と説明して大事なお姫様と一緒に勉強させることを納得させたのでしょう?

「簡単じゃよ。ローゼンベルク将軍の手の者が姫の傍に侍ることになったのではなく、姫のご学友にと見初められた娘の後見人に将軍がなった――という形におさまったわけじゃ。そして見初めたのは太后、となれば誰も文句は言わん。」
どれだけ権力強いんですかあの人。

「これくらいで驚いていては姫のお渡りを見たら腰をぬかすぞ。」
細い指がドアを示す。
どうやら覗いてみろという事らしい。

扉の前に立って、ふと思い立つ。
今聞いてしまおう。

「老師?先王様の隠し子っていますか?」

もはやおなじみとなりつつある単刀直入、前振りなし。
でもこれ意外と効果ある気がする。
日本人特有の気ぃ遣いは海外(正確には『界』外か)においては必ずしもプラスにならないってことかな。


老師は暫く目を閉じ瞑想にふけるような表情を見せた後、静かに口を開いた。
「リドか?」

目を閉じたままの老師には見えてないかもしれないけど、私は無言でうなずいた。
ミスハルは件の夜空のような隻眼でこちらを見ているからきっとこれで老師には伝わっている。

「確かに先王のご落胤なぞいれば普通ならばとっくに太后によって抹殺されとるじゃろうから、もし生きとるならばローゼンベルク公爵家のように強大な後ろ盾のあるリドワーンが怪しい…ふむ。なかなか良い着眼点じゃな。」
えらく関心したように言われましても――そうかそんな考え方もあったのか。
「リドの母親は先王の後宮(ハレム)にいたんですよね。リドの母親は王様を恨んでるという噂も聞きました。」

「マナ。当時の太后にそんな力はない。今でこそ絶対的な権力をお持ちだが当時のあのお方は貧しい遠くの小国から人身御供さながらに送られてきた齢(よわい)十二の子供に過ぎん。」
十二―――王族の結婚は早いと聞いてはいたけどこれはいくらなんでも幼すぎる。
だって十二って、まだ小学生ではないか。
「いくら王に見初められたとはいえ、この国の最有力貴族であるローゼンベルクの娘とその娘が産んだ王子を追い出すなんてできん。」

「じゃぁ、リドのお母さんは?…それに太后や王はなぜリドを疎むんですか?」
矢継ぎ早に繰り出した質問に老師は言葉を咀嚼するような間をおいたあと答えた。

「答えられんな。」

ここまで思わせぶりなこと言っといてそれですか?
さすがにいらっときて語調を強めた。
「否定しなければ肯定と受け取ります。」
この話の流れならばこれも突拍子も無い結論とも言えないはずだ。

老師は答えなかった。
ただ、話題を変えようとするかのようにミスハルが扉の外を指し示す。


「姫のおなりじゃ。」

そっと僅かに扉を開き廊下の様子を伺おうと老師達に背を向ける。
そこに疲れたかのようなしゃがれ声がぶつかってきた。

「姫にはなるべく楽しく学んでもらいたい。そんな顔で姫を迎えてくれるな…このあと少し時間をとろう。」


慌てて振り返ったのと、シンシアの到着を受けた兵隊たちが踵を揃え一斉に最敬礼したのは同時だった。
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