stray
21
探るな、と老師に忠告を受けた次の日に偶然に真相に近づいたって、私は一体どんな星の下に生まれついているのだろうか。
老いた、と評するには些か張りのありすぎる声が朗々と、まるで万の人々にその意志を伝えようとでも言うように言葉を紡いだ。
「彼の方は今、侍る僕(しもべ)もおらずこの王宮の外れに幽閉されておる。我らは二十余年辛苦を舐めさせられ続けたそのお方を正しき場所に――この国の中心へとお迎えするのだ。」
答える声は些か若い。
「あの偽りの王母の『犬』は今王宮を留守にしているようです。」
話の流れからいって売女だとか偽りだとか言われてるのは太后さまだとわかる。
ならば『犬』は――ゲイルさん?
いや、それはこの際どうでも良い。何よりも私が今知りたいのは――
「今日、この場所で!!偉大なる始祖王を初めとし、いと高きそのお方に連なる全ての王の前に誓おう!!」
応と力強く答える声を最後に宰相たちは部屋から出ていった。
どくどく暴れる心臓を必死に宥めながら私はこれからするべき事柄を考える。
兎も角報せなければならない。
しかも誰かに言伝を頼めるような内容ではない以上私が直接報せに行かなきゃいけない。
隠れていた柱の陰からよろよろと立ち上がり、扉に手をかけようとして硬直する。
もし、まだこの辺りにさっきの人たちがいたら――?
彼らがしていたのはクーデターの話だ。
絶対王政らしいこの国でそれをする事はきっととても大きな事で――もし、彼らが私が盗み聴きしていたのを知ったなら――?
全身が総毛立った。
駄目だ。
この廊下は一本道だから急いで報せようとすれば彼らに追いついてしまう。
見つかってしまう。
少し時間を空けなければいけない。
取っ手にかけた手を戻した。
けれど、こう言う時の時間は本当に一秒が一時間くらいに感じるのだ。
ぐるぐると、頭の中で取り留めもない思考が氾濫する。
もしクーデターが成功すればソーマ君は王座を追われる。
きっとシンシアにも、私がこの世界で得た友達にも累が及ぶ。
当然現王に中世を誓ってるゲイルさんや、そしてリドも――。
「っ……!!」
再度、取っ手を握った。
大丈夫。
絶対見つかるって決まった訳じゃないし。
見つかっても死ぬって決まったわけでもないし。
「……大丈夫。行ける。」
絶対的に『死』が伴った選択肢を目の前に突きつけられた。
そしてそこから逃げ出した。
その絶望と後悔を知っている。
だから助かる余地がある賭ならば、恐る恐るでも命を賭けられる。
「…ソーマ君に何かあったらお兄ちゃんが帰れない。」
とりあえず目下一番の重要事項を口に出して気合いを入れる。
頑張れ、私。
震えてる場合じゃないでしょ。
ぎゅっと一際強く取っ手を握り締めた瞬間。
私のものではない力が扉を開いた。
******
「いいえ、本日はまだ来ておられません。」
後宮(ハレム)の入り口を守る衛兵は緊張しているのか少々上擦った声で返答をした。
「…そうか。」
その緊張の元凶であるところのリドワーンは質問に返された答えに小さく溜息をついた。
彼が溜まりに溜まった仕事をまことに彼らしくなく放棄してまで追いかけてきた少女は彼女の宣言に反し、まだ此処に来ていなかったらしい。
しかし、それでどうと言うこともない。
彼女の居場所は此処か、先ほど飛び出した執務室かでなければあとは寝起きしている邸しかない。
「…解った。邪魔をしたな。」
最後の選択肢に向かおうとリドワーンは踵を返した。
そこに玲瓏な、その音の残滓だけで空気が浄化されたかと錯覚するほど澄んだ声が響いた。
「あれ?もう帰るのかい?」
漆黒に身を包み、ベールから覗く唇で笑みを象った後宮(ハレム)の、否この国の実質の支配者、アーデルヒルト太后がそこにはいた。
「何か用?何なら寄ってきなよ。」
「……太后陛下。お一人でお渡りにならないようにと再三申し上げた筈ですが。」
衛兵が慌てて膝を付き、リドワーンもまた作法に乗っ取った礼をとった。
本来常に何人もの女官に傅かれているはずの貴人は家臣の諫言を気にする様子もなく優雅な所作で衛兵に人払いを命じると楽しげな笑い声を上げた。
「この国では女は何もせずに奥に引っ込んでるものらしくてね。暇で仕方ないんだよ。」
女王も立つことのできる国から嫁いできたアーデルヒルトはいけしゃあしゃあとそう言ってのけるとリドワーンを手招いた。
しかし、リドワーンは後宮(ハレム)と外宮を隔てるその境界を決して越えようとはしない。
「宦官でない者が入るわけには参りません。」
あくまで固辞の姿勢を崩そうとはしないリドワーンに太后は更に唇が描く弧の角度をあげる。
「別に君ならば誰も文句言わないよ?」
「……」
「それとも何かな?ソーマに忠義立てかい?」
礼の姿勢を取ったまま顔色一つ変えず、微動だにさえしない男にからかうような言葉を投げつけながらアーデルヒルトは歌うように言った。
「リド。もしかしたらあの子は君の『裏切り』に気づいているのかも知れないよ。」
そのとき初めて、注視してなければ分からないであろうほど僅かにリドワーンが身じろいだ。
それを目敏く見咎めた太后が満足気に頷く。
「君も中途半端だなぁ…結局どっちつかずだ。そんな気概で懐いてくれるほどソーマは手のかからない子じゃないよ?」
「……少し用が有りますので御前を退出しても宜しいですか?」
「マナチャン、だろ?彼女の存在だって大分喧嘩売ってるよね。君は彼女を利用して始祖王の再来でもやらかすつもりかな?」
「…お望みならばマナは陛下がご帰還なさり、御身の安全が確保でき次第早急に返します。」
アーデルヒルトは紅唇を開きかけ、しかしそのまま閉じると紡ごうとしていた言葉を飲み込んだ。
潔癖な所のあるこの男に自分のゲイルシュターを使った計画を話して得などない。
結果出来た沈黙を退出の許しだと判断し、リドワーンは礼を取った。
「リド!!」
遠ざかろうとする背中に声がかかる。
「君が望もうが望むまいが、ソーマに最悪の事態があったなら君には『此処』に来てもらうから。」
その言葉が意味する物に初めてリドワーンの表情が明確に変わった。
しかし、見開かれた瞳が振り返った先には誰もおらず、唯一つの存在のためだけにある『魔宮』と呼ぶに相応しい世界の境界を守る門だけがぽっかりと口をあけていた。
*****
扉が襲ってきた。
一瞬そんな錯覚を抱くほど驚愕した頭は内側に、つまり私のいた方に押された扉に無意識で逃げの姿勢を取る前に体から力を奪った。
極限まで緊張していた筋肉は反動で弛緩し、その場にヘナヘナとへたりこむ。
心臓が口から飛び出る位のびっくりにひいっと悲鳴のような息が喉を鳴らした。
ヤバい!!誰か帰ってきた?!!!
ほんのつい先刻までこの場所で交わされていた会話の内容を鑑みれば、今私がこの場所にいることがバレた結果など一つしか思い当たらない。
――これは本格的に命がないかも知んない――
「お前…!!!」
一瞬本気で世を儚みかけた。
けれどその後に続く言葉に、正確にはその言葉を形成する声に私は思わず瞑った目を開いた。
「お前あの時後宮(ハレム)にいた……」
「ポ…ポチ君?」
この間の白い肌の露出も艶めかしい踊り子の服装ではなくきちんと(?)下級女官の服を身に纏ったポチ君が驚いた表情を隠そうともせずそこには立っていた。
彼は暗殺者だとか、シンシアに曰わく『飼われている』筈の彼が何故此処にいるんだとか――色々な思考が脳裏に過りもしたがそれよりも何よりもまず安堵感が私を支配する。
「お前何故ここに…」
いや、それは明らかに私のセリフだろう。
どこから切り出せばいいものか、むしろこの人に今ここで起こったことを洗いざらい話していいのか。
逡巡する私の前に手がさしのべられる。
「?」
「手ぇ貸せ。」
恐る恐る伸ばした手が掴まれ、へたり込んだままの私をポチ君は当然の様に立ちあがらせた。
その私への接し方がお兄ちゃんに似ている――
そう思った瞬間、ポロリと口から言葉が滑り出た。
「…どうしよう…」
「何が」
「クーデターの計画を…聞いちゃったの…」
「そうか、まぁ、それならこの部屋はおあつらえむきの部屋だ。」
事のあらましを説明するとポチ君は納得したように頷く。
「みろ、ここの肖像画たちはみんな歴代の王を描いたものだ。」
『今日、この場所で!!偉大なる始祖王を初めとし、いと高きそのお方に連なる全ての王の前に誓おう!!』
宰相の言葉を思い出す。
「あぁ、これが先代だな。」
ポチ君は壁に歩み寄り一つの絵を示す。
そののんびりとした様子に私の焦燥感は掻き立てられる。
やっぱり、彼に話したのは失敗だったかもしれない――
「お願い!!私迷ってるの!!!だから…」
ポチ君の傍に駆け寄りふと、その肖像画と目が合った瞬間、思考が止まった。
「…これが…先王様?」
「ん?ああ。」
そこにあったのは見知った顔。
否、見知ったというものではない。毎日毎日、私はこの顔を見ている。
天啓とは、こういう事を言うのだろうか。
「…そう言う事?」
じゃあ、先王のご落胤って――
「ごめん!!!私、行かなきゃ!!!!」
今度は扉を一瞬の躊躇なく開くと私は走り出した。
滅茶苦茶に走り、なんとか見知った景色に当たった。
スピードを緩めることなくそのまま走り続け、そして辿り着いたドアを壊さんばかりの勢いで開く。
「リド!!!!!!」
「…き…君は将軍の…」
執務室の中には軍人と思しき男が一人いるだけだった。
「リドはっ???!!!」
私の剣幕に押され、答えが返ってくる。
「将軍は――ご自宅に――」
再度私は走り出す。
止めなきゃいけない。
だって、『あの人』は裏切らないと言った。
だから、あの人は玉座なんて望んでない。
走り走り、そして、王宮のどの建物からも隔離された『王宮の外れ』へ――
「マリアさん!!!!」
邸の前には箒を手に持ったマリアさんが玄関を掃いていた。
「あら?どうしたの?」
「リ…リド…は…?」
上がりきった息で何とか声を絞り出す。
「今日は一緒じゃないの?」
どうやら追い抜いてしまったらしい。
舌打ちしたい気を抑える。
私はマリアさんに駆け寄り縋る様にその腕をつかんだ。
「マ…リア…さ…」
「マナ?」
「逃げ…て…」
リドは先王に唯一人国にいることを許された弟と、公爵の一人娘の子供。
そして、彼はそのリドの従兄。
ならば、もう考えられる答えは一つだ。
マリアさんの父親は――
「お迎えにあがりました。我らが真の主よ。」
私の推理を肯定するかのように背後で鎧の立てる金属音と共に男の――先刻、肖像画の部屋で聞いた声が上がった。
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