stray

22

恐る恐る振り返った先には何十人もの鎧の兵士が怖いほど整然と並んでいた。
後ろの方には薄汚れた長いローブを着た市井の魔術師だろうか。

間に合わなかった。
せめてここにリドがいてくれれば少しは話が違ったのだろうが、明らかに私にはマリアさんを守れる力などないのに。

どう考えても私に出来ることなどマリアさんに危険を教えて逃げて貰うことくらいなのに。
それすら今は無意味な物と成り果てた。

「マナ…」
マリアさんが小声で私の名を呼んだ。
私より大分高い頭を見上げる。
マリアさんは全く感情の伺えない瞳で鎧を着た彼らを睥睨したあと私を見下ろしてにこりと笑った。

「逃げるわよ。」

彼らには聞こえないように小さな声で囁くやいなやマリアさんは背後にある邸の扉を開け、私をその中に引っ張り込む。

そのまま一気に台所にある勝手口から逃げる算段なのだろうか。
「…バレちゃったみたいね。怒ってる?」
隠していたことを――と言外に告げられ私は黙って首を横に振った。
推理に必要なヒントはすべてかなり前に出揃っていたのだ。

今はただ、それに気付けなかった自分の間抜けさに腹が立つだけだった。
もっと早く気付けていれば――!!


怒声に似た喚き声と鎧が鳴らす金属と金属がぶつかる音が後ろから追ってくるのを後目にひたすら駆ける。
すぐそこまで追っ手が迫っていた。

「先に行きなさい。」
有無を言わさぬ強い声に命じられるまま私は勝手口の扉に飛びつく。

しかし、勢いよく開いた先に見えたのは幾重もの鎧の壁だった。

慌てて閉めようとした手をその鎧の壁から延びた腕が掴んだ。
「痛っ…!!」
遠慮が全く感じられない強さで握り締められ思わず声を上げる。
「離しっ…てっ!!!」
何とか逃れようともがいてみてもビクともしない。
「マナ!!」
マリアさんの声が扉越しに聞こえる。

「離して!!!」

ここから先の展開は火を見るより明らかだった。
その想像が間違っていない事の証明のように私の首元に冷たいものが押し付けられた。

「離して!!マリアさんは王様を裏切らないんだから!!!!」
危険を知らせるのが間に合わなかったばかりか、人質となって足手まといになるなんて絶対にごめんで私は必死に叫んだ。

「そうかな?あの方は本来ならば玉座にあるべき方。なのにあの様な屈辱的な格好を強いられこの様な王宮の片隅に幽閉されておるのだよ?」どうやらこの中のリーダー格らしい男から返された返事に言葉を詰まらせた。

マリアさんは割と好き勝手してるから幽閉云々はともかく確かに良い年した成人男性がするにはなかなか屈辱的な姿であることは疑いない。
あれが強いられたものであるなら―――

「でもマリアさんは王になることを…」

望んで無いなんて私に言い切れる?
私があの人と知り合ってまだ半月も立っていないのに。

詰まった言葉を継いだのは勝手口からゆっくりと出てきたマリアさんだった。

「あぁ、望んでいない。」
箒を片手に今まで見たことのない、まるでリドのような鋭い視線でマリアさんは私を捕まえる鎧の主を見やった。
「その子を離せ。」
低く鋭い声が命令を下す。

「勿論で御座います陛下。しかし、まずは陛下を安全な場所にお連れしなくては…」
解っていただけますね?と言った男の声に含まれる紛れもない嘲りの色に抑えようもない怒りを感じた。
いくら表面では礼を尽くそうとも奴等にはマリアさんに対する忠誠も敬意も何もない。
侮っているんだ。
常識からすれば滑稽極まりない格好のマリアさんを。
王家の基準からすれば全く政に対する教育も受けてない、尚且つこんな道化のような格好をした相手だから。

頭に上った血と共に抵抗する力を強めた。

首筋に当てられた刃が僅かに皮膚を裂く。
本当に私を傷つける気は無かったのか慌てて剣が首筋から離される。

「おいっ!大人しくしてろ!」

些か慌てたような声が私を拘束している兵士から上がる。


「離せ!!!!」


力の限り私は叫んだ。
「どうせ…あんた達はこの人を利用することしか考えてないんでしょょ?!!!あんた達みたいなのを太后が重用するわけないからそれを恨んでるんでしょ?!!!」

こんな奴らをリドさえ信用しないソーマ君が信用する筈もない。
大方正攻法では太后様にかなわないからこんな馬鹿な事をしたに決まっている。
太后様の権力はソーマ君の王位の後ろ盾があって初めて意味のある物になると老師も言っていた。
ここでマリアさんに恩を売っておいて、あとから教育不足を楯に政治の実権を奪う方が太后と正面からやり合うよりずっと楽そうだ。

「黙れ!!」

ほら、やっぱり図星だ。
苛立った声と共に拘束が強まり骨が嫌な音をたてて軋んだ。
だけれど、私の怒りと共に放出され脳内のアドレナリンは痛みを意識に伝えることもなく言葉を続けさせた。


「アンタ達なんかにこの人を利用させない!!!!!」


更に罵声を続けようとした口はそこで塞がれくぐもった音を出しただけだった。
もう、私に出来ることは無くてマリアさんにただ必死に目線だけで逃げてくれるように懇願する。
「さぁ、参りましょう。陛下。」
勝ち誇った様にリーダー格の男は言った。
「……。」
周りはすっかり鎧の男達で固められていた。

マリアさんは兵士達を一巡すると口を開いた。
「さっきから陛下、陛下といったい何のことだ?バドルで陛下と呼ばれるべきは国王陛下と太后陛下ただお二人だけの筈だが。」
「……いいえ、陛下と呼ばれるべきは先王の血を継ぐ長子とその母上様のみ。ご安心ください。先王の御落胤が後宮(ハレム)を追われる際に女児として追放された事も、あのさんだつ者たる太后への恭順の証として継承権のない女の格好を強いられている事も、我々はきちんと存じております故。」

とても筋の通った発言だった。
此処で初めて、私はマリアさんが全く似合わない女装をしている理由を知った。
そして更に本来王宮の敷地内の高官の居住区に屋敷を構え、何人も召使いを抱えていてもおかしく無いはずのリドがこんな王宮の片隅でマリアさんと二人で住んでいるかも。
太后様がリドを信用しない理由も。

私は尚更暴れる体に力を込めた。

リドのソーマ君に対する忠誠の高さを私は疑うことはしない。

けれどリドはずっとマリアさんの幽閉先に一緒に住んでいた――きっとマリアさんを守るために。

血縁者とはいえ、主の不利になる存在を自ら守ることにリドはきっと悩んだ筈だ。
それでも唯一絶対のあれだけ忠誠を捧げる主を欺いてでもリドはマリアさんを助けたかった。
ならば、私はマリアさんを何が何でも逃がさねばならない。

この人をリドの敵にしてはならない――

「残念だが違うぞ。」
焦る私を前にマリアさんは冷静そのものの表情でいった。
「私は別に太后に媚びる為に女装しているわけではないからな。」
紅を刺した、薄い唇の端が不敵に持ち上がる。


「女装(これ)はただの趣味よ。」


私の目には箒が描いた軌跡の残像しか写らなかった。

「ぐわっ!!!」
急に拘束の力が弱くなる。
次の瞬間見えたものは箒の柄の先端が兵士の鎧の隙間、喉元に食い込む様だった。

「きゃっ」
支えを失いぐらついた私の体を力強い腕が支える。

「突破するわ!!ついてらっしゃい!!!」

喉を突かれ後方に吹っ飛んだ兵士が他の兵士にぶつかった時に出来た隙にマリアさんは箒の柄をレイピアのようにして突っ込んでいく。
刃のない箒は敵を切り裂くことはないが勢い良く突きつけられた柄の先端は篭手の上から突いたにも関わらず鎧の兵士の体勢を崩した。
そのまま、まるで踊るように侍女服の裾を翻し、相手の腕を箒で払う。

二度の腕への攻撃に兵士は耐えきれず、持っていた長剣が回転しながら宙に舞った。
「多少手荒でも構わん!!取り押さえろ!!!」

ようやく声を上げたあちらさんを後目にマリアさんが手を伸ばす。
まだ宙にあった剣がその手の中に収まった。
「さぁ、怪我したくなければ引っ込んでらっしゃい!!」
一連の動作を流れるように一息でやってのけた異形の侍女服は私を剣を持っていない方の手で引き寄せ、肩にかつぎ上げた。
体が空に浮く感覚に小さく悲鳴を上げながらも慌ててしがみつく。

「たぶん長剣(これ)は箒よりは痛いわよ?」

なんの武術の心得もない私でもマリアさんが尋常無く強いことを思い知らされた。
ましてやきちんと訓練している筈の相手は尚更だったのだろう。
これだけ数がいながらも怯んで動けないようだ。
マリアさんは私を担いだまま、露払いの剣を振るい駆けだした。
聖書を題材にした古い映画で見た預言者が杖を振るい海を割ったシーンを再現するように人波が開けていく。

「術師は?!何をしている!早く精霊(ジン)で奴らを止めろ!!」
担がれたまま突破された私には後ろの様子が伺えた。
鎧の集団の中に薄汚れた長いローブをきた人が二、三人見える。

彼らと一瞬だけ目が合う。

表情から感情が読み取れずに眉根をよせた。
よくわからないけど…何か、困ってる?
何か既視感を感じる。

あの表情を最近どこかで見た気が――

マリアさんは私一人を担いでいるとは思えない早さで駆けていく。
慌てた兵士達が魔術師を前へと押しやる。

「来ないで!!!」
一瞬の思索の淵から自分を掬い上げ、叫んだ。

どうやらびっくりさせるくらいは出来たらしい。
魔術師達の体が一瞬だけ傾いだのが見えるころ私達は完璧に彼らを撒ける距離まできていた。



****



流石に何時までも担がれているのも申し訳なくて下ろしてもらい更に走った。
そして木漏れ日さす小道の向こうからやって来る姿を見た瞬間、私は素直に歓声をあげた。

「リド!!!」

駆け寄り安堵の息を吐く。
来るのが遅いよ。
本当に大変だったんだから。
色々な文句を言おうと口を開いた。

「…リド?」
硬い表情に気押され、私の口から出た言葉はそれだけだった。
リドは私に見向きもせずマリアさんを見遣った。

「ばれたんだな。」
「ええ。」

私は瞠目してリドを見上げる。
言っている意味が理解できない。
何故、ついさっきの出来事をもうリドが知っているのだろうか?

「ばれた事がばれた。」

「…そう。」

リドの言葉も、マリアさんがそれを聞いた時に見せた、諦めたような、すべてを悟った様な表情も、理解が出来ない。

状況に置き去りにされた不安がじわりと胸の中に広がる。

「先ほど太后から知らせがあった。時期が時期だ。太后はお前の存在を憂慮されてらっしゃる。」

「じゃぁ、私は遂に王宮を追放かしら。」
「いや、この後もこういう事態が起こらんとも限らない以上、後の憂いを残すわけにもいかん。」

話は理解できなかったがそれでも不穏な臭いだけはわかった。

『冷たい』と評するに相応しいリドの目に怖くなる。
いつもの無愛想さとは違うその色はまるで―――

マリアさんが硬い声で問い、リドがその眼の光と同じ冷たい声で返す

「私を…殺すの?」

「…あぁ。」
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