stray

25

東屋の椅子の一つに腰掛けた太后がこちらを手招く様はまるで絵のように完璧に調和のとれた光景で不覚にも一瞬見とれてしまった。
あの人の醸し出す雰囲気はまず別格というか神聖不可侵といった方が正しいかもしれない。

「いらっしゃいマナ。」

太后付きらしき女官たちが私のいる外廊と太后のいる東屋を繋ぐ小道の脇に控えている。
不躾に此方を伺う彼女たちの内心は恐らく私の横の此処まで取り次ぎをしてもらった侍女頭さんの表情が物語る通りの物だろう。
この国の実質的最高権力者の、美しき女主人の側に侍る栄誉を受けたという矜持ががどこぞの者とも知れない小娘(実際年齢もそうだけど私はこちらでは実年齢マイナス5位には見えるらしいし)を見下し、その小娘が女主人に対して膝を付かないことに疑惑とそれ以上の反感を持っていると言うところだろうか。

「急にすみません。おじゃまします。」

私はたくさんの視線を真っ正面から受けた。
以前無数の好奇の視線を集めた時のような居心地の悪さよりもさっきから細波のように交わされる会話にこちらも敵愾心がむき出しになっている。
「何者?あの小娘は…こないだの男と言い後宮(ハレム)をなんと思っているのかしら…」
「本当に厚顔無恥も甚だしい…卑しい身分で後宮(ハレム)に置いていただけるだけでも異例中の異例だというのに陛下や太后に敬意を払おうともせずに…」
「あの様な者たちをいれるなどそれだけでバルドの後宮(ハレム)の、否バルドの品格が貶められていますわ…」

機嫌の悪さを隠そうともせず、彼女らを睨みつける。
ほら、見てみなさいよリド。
やっぱりお兄ちゃんのこと悪く言う人が一杯いるじゃない。

私が図々しいのは重々承知している。
何にも出来ない癖に文句と主張だけは一丁前にする様なんて自分でも何様だよとか思うよ。
でもお兄ちゃんは違う。
お兄ちゃんは正真正銘巻き込まれただけだから。
さっさと返してくれれば良かったのにそれもせず勝手に引き留めておいてなのにお兄ちゃんを悪く言う人達を私は許せない。
許すつもりもない。

「それで、話って何かな?」
醜悪極まりない囁きは太后の耳にも当然届いている筈だった。
けれど太后はその耳に響くのは天上の音楽かと言うほど綺麗に微笑んだ。
「人払いを。」
極力感情を表に出さないように短く告げる。
それにまた何様なんだという陰口が飛んでくる。
外野は黙ってろっつーの。
「人払いを。」
もう一度言って口を閉じ、太后の反応を待った。
太后はどこか楽しそうに私を見やると軽く右手を挙げて振った。
それを合図に某国のマスゲームもかくやという程見事に統率が取れた動きで侍女さんたちは流れるように退出していく。
全員が退出した頃を見計らって太后様は口を開いた。

「彼女達の事はすまない。私が代わりに謝ろう。きょうじは時に必要な物なんだよ。特にうちみたいな大国には。」
黒のベール越しにも紅唇が描く曲線がはっきりと見える。少しも悪いなんて思ってなさそうなんですが。
「それで何か用かな?」

深呼吸を一つ。
私はこれから口先だけでこの人と争おうとしているんだ。
他人から見ても、自分から見ても役者不足なのは明確だけど仕方がない。
私がやるしかないんだから。

「先に言っておくよ。私は言っていないことに責任は持てないよ。」
暗に、否、直球での釘さしに私は苦く笑った。
いや、わかってはいましたけどね。
一瞬それでも部下の責任をとってこそのトップじゃないんですかと言いたくなったがその言葉は飲み込んでおいた。
話の脱線はあまり歓迎できる事ではない。私は口を開き計画どおりの内容を口にすることにした。

「いえ。」
シンシアの忠告は恐らく正しい。
太后は自分が何も言ってないことを盾にするつもりなのだろう。
だから私はそこで勝負する気は端からない。

「今日は別の件で来たんです。」
「別件?」
「はい。私のことなんです。元精霊王(イブリース)としての。」

情けないことに私がこの人に対して武器にし得る事なんて私がかつて精霊王(イブリース)だった事しかないわけで。
あまりその事について話すのは気が乗らないんだけれど今回だけは仕方がない。

「他の精霊(ジン)が私を避けてるとか。」
「……」
一瞬にして太后の双眸が細められた気配がする。
もちろんベールに覆われてはっきり見ることは叶わないんだけれども、太后が纏う空気が鋭く張りつめたのはハッキリと肌で感じられた。

「今、王宮にはどんな精霊(ジン)をも押さえつける策が講じてあるとか。それって私のことですよね?」
よくよく考えればおかしいのだ。
宮廷魔術師がみんなこの非常事態に王宮を離れるなんて。
精霊(ジン)だって一応味方の、つまりは宮廷魔術師の精霊(ジン)はキミーとミスハルしか見たことがないし。
その二人(?)だってよく考えれば何やら絶対に攻撃しないことを誓わされたし。

シンはきっと例外なのだろう。
目の前で愛するシンシアが殺されかけたんだから私が怖いとか言ってられなかったんだと思う。
私には今、彼らが恐れる力など一つもないんだから何をそんなに怖がるんだろうと不思議ではあるけれど、それよりも今は兎に角その事実に利用価値があることが重要なのだ。

今、私はこの国にとって利用価値がある。

「それで?」
身に纏った鋭い雰囲気はそのままに太后は尋ねてくる。
警戒されているのだろうが――大丈夫です。
それを盾にごねる気はありませんよ。
私みたいな部外者が余り国政に関わる決定をさせるのは頂けない。
だから私も太后に『先王の御落胤がいる』事を認めさせることはしない。
下手すりゃ内紛に発展するような展開になったら手に負えないし何よりリドの主人であるソーマ君の立場を悪くするなどリドと主従関係にある私が犯す愚ではない。


「先程、私は襲撃を受けました。」

相手が知っているだろう事は先刻承知で私は言った。
「相手の正体も目的も私は知りません。」
これは嘘である。
けれどこの場合こう言う事で私がマリアさんの事は言及するつもりがないことを暗に匂わすことが出来るはずだ。

そして、ここから。

深呼吸を一つした。


こちらの出方を伺っているのか沈黙を保ったままの太后に向き合う。
心臓が爆発してもおかしくない程の動悸が太后に聞こえないことを祈りつつなるべく毅然として、堂々して見えるように真っ直ぐ太后を見つめる。
「目標は召喚主(マスター)だったのかもしれません。けれど私が今、この国の国防の一端を担っているならばもしかして彼らの狙いは私だったのかもしれません。だから――」



「私を後宮(ハレム)で守って下さい。」
断られるはずはない。
太后様にとっても、私は出来ることならば出来るだけ手元に置いておきたいはずだ。

私の狙いは勿論後宮(ハレム)で守られることではない。
私の狙いは――




「そう言う事か。」
太后の唇から苦笑が漏れ出た。

私は正直その言葉にビクリと肩を震わせた。

――今の一言で私の狙いがわかった?

まるで、自分の全てが見透かされるような感覚に全身が総毛立つ。

「私は…この世界の事を知りません…だから、世話をしてくれる人が偽必要ですけれど…さっきの通り、私と此処の人達とは仲が悪い…だから…」

交渉事の席でこんな怯えた態度をとることは良くない事はわかった。
けれど背筋を這う寒気が言語能力を退化させる。
それでも、私は、私が必死に考えた、私が唯一マリアさんを救える策を唯一口にした。

「……私と、私の世話役の侍女を一人、後宮(ハレム)で保護してほしいんです。」
これが、私の考え付いた方法だった。
暗黙の命令が撤回できないなら、正式な命令で上書きしてしまえばいい。
マリアさんを私の世話係だとしてもとにかく、後宮(ハレム)で保護すると太后の名の下命令してもらえばいい。
私は、その見返りとして秘密保持も兼ね太后の監視下に入る。
これならば、リドはマリアさんを殺さなくて済む。
そして、私とお兄ちゃんが帰る前に、まだ宮廷魔術師の精霊(ジン)が動けない内にマリアさんを遠い国へ逃がす。
何だかんだいって絶対数の少ない魔術師では世界中を探させることなどきっとできない。




漏れる苦笑が、その内はっきりとした笑い声に変わった。
太后ならば、きっと私の言葉の真意をわかっているだろう。
恐らくその上での笑い。
一方相手の真意が掴めない私の前で太后は顔を隠すベールに手を伸ばした。


『傾国の美』が目の前に現れる。


シンシアと同じ紫銀の髪、そして、海より深い碧眼。
その眼に宿った感情に、私は今度こそはっきりとした恐怖を感じた。

神の造形を持つ太后は椅子から立ち上がり、私を見降ろしす。

余りの美しさに圧倒され、声すら出ない私は、彼女の手が私の頭を掴むのを恐怖で身動きも出来ないまま唯々諾々と受け入れた。

万の民に逆らう事を許さない強さを持った声が耳元で囁かれる。


「小娘、舐めるなよ?」


その声の底のない闇のような響きに腰が抜けへたり込む。
さらに、私を見降ろす形となった太后は逆らう事自体罪のように感じられるほど圧倒的な存在感を放っていた。
まるで、天の高みにいるという神そのもののように。

「確かに、私たちは今、君の力で守られている。君が与える恩恵の見返りを求めるのもわかる。けれど、君は一つ勘違いをしている―――私は君に恩恵をもらっているわけじゃない。私は君を利用しているんだ。」

にっこり笑い、けれど瞳には黒い炎を宿したまま太后は言った。

「君の恩恵は君の意志で与えたり、取り上げたりできないんだろう?交渉のカードとしてはちょっと弱いかな。」
髪を掴まれ引っ張られる。
「痛っ」
思わず苦痛の声が出た。

「君はいさえすればいいんだ。私は、君の四肢を切り、首を鎖で繋ぎ、喉に管を入れてそこから餌を与えるんでもかまわないんだよ?むしろその方がハルを帰したあともずっと長く君を利用できる。」
楽しそうな声の響きとは裏腹に私はそれがまごうことなき本心からの言葉だと、言われるまでもなく理解していた。

この人は、本当にやる――

「っ…!!!」
目の前が赤く染まる。
痛みを、恐怖が凌駕した。

嫌だ。
怖い。
助けて。
助けて。

お兄ちゃん―――!!!


「なぁんてね。」
悲鳴を上げる前に髪が自由になる。
まだ怯えたまま見上げると太后はベールをつけ直しているところだった。
「いいよ、おいで。君と君の世話係。うちで面倒見てあげる。」
「ぁ…」
「君とは出来るだけ長く仲良くしたいんだ。…ねぇ、マナ。」

再度ベールに隠れた紅唇が優美な弧を描いた。


そのあまりの優美さに弛緩しだした頭で考えだす。



私は試合に勝って、勝負に負けたんだ。
気分的には完敗だけれども。



兎に角、とりあえず、私は使命を一つ全うした。


Copyright (c) 2008.10.12 Utsuro All rights reserved.