stray

26

現状を確認してみた。
今まで自由だった野鳥が自ら鳥籠の中に入った、と言うところだろうか。
愛でるべき綺麗な羽を持つわけでも耳を傾けるべき美しい歌を奏でられる訳でもない。
ただ、自由を奪われるためだけに鳥籠に閉じ込められ飼われる。

その余りに詩的で美しく夢見がちで馬鹿馬鹿しい連想は、しかし強ち外れたわけでもなくて私は虚ろに笑った。



****



「マナ!!」
正直、どうやってリドとマリアさんがいる兵舎まで戻ったか覚えてなかった。
ただ、兵舎の扉を開けた瞬間マリアさんの声に出迎えられ、牢から出ることにしたらしいマリアさんとその後ろから黙ってこちらを見ているリドの間に殺意の残滓さえない事を感じ取り小さく安堵の息を吐けた。

「先程太后の使者が来たの。貴女を王家の客人として後宮(ハレム)に迎えると。よって貴女に一番近しい『侍女』である私も後宮(ハレム)へ来いって。」
余りの太后の行動の早さに素直に感心すると共にやっぱり苦笑が漏れる。
「……貴女がそう仕向けたの?」
ちょっと迷ってから控え目に頷く。
あれは私が仕向けた、と言うよりは私の我が儘を太后が聞き入れたという形に近い。
たぶん太后は私に恩を売る意味も込めて意図的にその形に
持っていったのだろう。
悔しいけれどあの人の掌の上で踊っている自信がある。
けれど最初の一歩を踏み出したのは私だ
。誰に命令されるわけでもなく私が自分で決めたことだ。

「一緒に後宮(ハレム)へ来て下さい。あそこにいる限り太后様はマリアさんに手は出さないでしょうから。」
「…根拠は?」
「あの人は何処まで行っても私を精霊王(イブリース)としてしか見ていません。」
太后にとって人としての私は何の利用価値もないから。
「だからあの人と私の約束は人と人の約束ではなく人と精霊の契約です。老師が言っていました。精霊は契約を破らない。人も精霊との契約を破らない。そこを破れば必ずしわ寄せが来るって。」
そう言って、だから魔術師は嘘はつくが約束は守るんじゃよ、と矍鑠と老師は笑ったんだった。
「だから大丈夫です。少なくとも私が後宮(ハレム)にいる間はあの人はマリアさんを守ってくれます。」
マリアさんもリドも何も言わなかった。
多分私の言葉に一応の納得は示してくれたんだろう。

「…つまり、貴女は人身御供になろうっていうの…?」

私のために、と続けたかったのだろうがその言葉を私は遮った。
先刻の太后やり取りが思い出されて寒気が全身を襲う。

「遅かれ早かれ多分こうなってました。」
生きていれば構わない、と太后は言った。
それはつまり裏を返せば死なれたら困ると言うことだ。
そして今日、私は剣を向けられた。
直接私に向けられたのではないといえ、このまま私を自由にさせておけば私はマリアさんの件に首を突っ込み続け巻き込まれて最悪死ぬ。
お兄ちゃんの事で暴走することもあるだろう。
それならば監視の意味もこめ、対王殺しの精霊の最終防波堤である私を手元に置いておきたいのは当然だ。

何より、元『始祖王と契約していた精霊王(イブリース)』である私を現王ソーマ君にとってライバル(と思っているのは向こうだけっぽいが)のリドやマリアさんの側に置いておきたい筈もない。
それは二人とも分かっているはずだろう。

あの人は私を捕まえる――どんなことをしてでも。

無意識下に手が震え始めた。
それを納めようと強く拳を握った。

「ただ流されて後宮(ハレム)に行くよりは偶々とはいえマリアさんを助けられたんだからよかったんだと思います……まだ助けられたって決まった訳じゃないですが。」
制限時間があるのだ。
私がお兄ちゃんを取り戻しあちらに帰るまでにマリアさんをどうにかしなければ。
私は永遠に此処にいるなど出来ないんだから。

二人が各々何かを考える素振りを見せる。
一つ息をつき目を閉じ二人の胸中に思索を巡らせることを放棄した。

なんだか酷く疲れていた。







****





その日は結局リドが兵士さんを邸の周りに警備として置いてくれた。
最後まで私用で兵を使うことに抵抗を見せていたものの、正式に王家の賓客となった私を守るためだとマリアさんが言えば(この人は早くも色々吹っ切っているらしい)渋々ながらも了承してくれた。
「兵は俺が陛下からお預かりしているだけのものだ。故に陛下の御為でなければ兵を動かす気はない。」

相変わらずリドはソーマ君に対してはか偏屈なまでに愚直だった。

「でも私も色々後宮(ハレム)に移る準備したいし…まぁ、今回は諦めて頂戴。マナ、貴女も今日は疲れたでしょう?早く休みなさい。」
「でも…」
正直、精神的にも肉体的にも限界は近かったけれどリドとマリアさんを二人きりにするのは抵抗があった。
太后が明言した以上大丈夫だとは思うけれど万が一と言うことがあるし。

「…俺も休もう。」
意外な事に声をあげたのはリドだった。

そう言って立ち上がりそのまま食堂を出て廊下に姿を消した。
この世界には時計がないのではっきりとはわからないがリドがいつも寝る時間よりは大分早い。
多分私の心情を察してくれたんだろう。
ほっとして私も立ち上がる。

廊下に出るとリドはまだそこにいて無言でこちらを見ていた。

「…何?」
視線に促されて側に寄る。
「少し話をしたい。構わんか?」
付いてくるように言われてたどり着いたのはリドの書斎だった。
真っ暗な部屋の中、ランプの形をした魔具に手を翳し、室内に光を満たすと椅子を勧められたので従順にそこに腰をかけた。
「で、何?」
話の再開を促すとリドは一瞬私から視線をそらした。
その気まずそうな様子が素直に珍しかったので思わず目を瞬かせる。


「…何か欲しいものはないか?」


「は?」


訳が分からない。
つーか、話が見えない。

「入り用なもの、と言うよりは贅沢品や嗜好品の方がいいのだろうなこの場合は…」

何を言っているんだろうか?
居候の分際での贅沢を咎められるならばわかるが何故に贅沢を推奨されているんだろうか。

「えっと……それは後宮(ハレム)に持っていく物ってこと?」
しばらく考えた結論はそれだった。
今現在私は衣食住に関して全く不自由はしてないどころか必要以上のものを与えられている自覚がある。
今、それ以上の要求などないし、感謝してもし足りないと感じる位
だ。

しかし、私を取り巻く状況はこれから激変する。
気安い三人暮らしからこの国の最高権力者が住まう(実際には行方不明な訳だがそれは表向きは隠されている)場所へ。

彼処に入るのを許されるのは王の女系の近親者とそれに仕える者、そして王の寵愛を求め争う他国の王族や国内の有力者の娘達。

本来、後宮(ハレム)とはそう言うものだろう。
私は侍女じゃないし(別にそれでも構わないがまともにお偉い方の世話などできる気がしない)ソーマ君の妻になる気も更々ないけれどリドにとってみれば自分が後見人である娘が後宮(ハレム)に入るのに質素な暮らしをさせていれば国内最有力貴族としてのプライドに関わる――

「ってことなら長居する気も目立つ気もないし適当にマリアさんに任せた方が無難じゃない?」
「違う。」
リドは苦虫を口一杯に放り込まれたかのように顔を顰め、眼光を鋭くした。
「先王の一年の喪が明けるまでは陛下は后を娶られない。故に今彼処に張り合うべき相手などいない――お前は何故そちら方面には頭が回るのにもっと考えついて当然のことは流すのか?」
――とりあえず、何故私は今睨みつけられあまつさえ小言のような嫌みを言われているのかに比べたら大した謎じゃないよ。
「そうではなくて…」
リドは深い深い溜め息をついた。
「礼をしたい。」
「は?」
「迷惑を掛けた。本来これはハルにはなんの関係もない用件だった。」

言葉を返せなかったのはリドはきっとこの事について私に何か言うことはないと確信にも似た想像をしていたからだった。
リドのキャラじゃないとか言う以前にだって今回私がした事は確かにソーマ君に不利益になる事なのだ。
それに
「ただの…自己満足だよ。」
『リドの為』と大義名分はあった。
けれどその根源にあるのはやっぱり『私の為』だ。
私がリドにマリアさんを斬らせたくなかっただけだ。
「結局根本的には何も解決してないし。」

破滅を先延ばしにしただけなんだから。
自己嫌悪に陥りリドから視線を外した。

「マナ。」
名を呼ばれる。
視線を戻せばいつもの無表情があった。
ただ、その緑の強い双眸がえらく真剣な光を宿していた。

「それでも、俺はマリアを斬らなくてよかったと思っている。」

それは、王の忠臣としての、言葉ではなかった。
私の思い違いでなければリド自身の言葉だった。

思わず苦笑が漏れる。
それは、さっきまでの投げやりなものではなく心の中がぼんやり暖かくなって、その熱が表情筋を緩ませて出たものだった。

たったこれだけの言葉で全てが報われた様に感じる。
そんな自分のお手軽さに少し楽しくなった。

「リド。」
「なんだ?」
「後宮(ハレム)に行ったら次にそこから出るのは私が帰る時だと思うの。」
「そうだな。」
「王宮の外に連れてってよ。」

リドが何故か一瞬驚いた顔をする。
しかし私が疑問を抱く前にそれは掻き消えた。

「あぁ…。」
その口の端が凝視しなければ分からない程微かに上がった後、大きな手が髪を軽くかき回した。


***


「失礼いたしまする。太后陛下。」
本来男子禁制の後宮(ハレム)に先代の主から入ることを許されたアル・アーシャーは恭しく膝をつき頭を垂れた。
とうに枯れ果てたアーシャーにはもう後宮(ハレム)の女に手を出すことは出来ない。
その意味では宦官と同じ彼はそれでも普段は主家への忠誠心を示すように後宮(ハレム)に自主的に入ることはなかった。

珍しい来客であるアーシャーにアーデルヒルトは惜しげもなく笑いかける。
「ねぇ、君マナに彼女の精霊(ジン)除けの力の事教えた?」
「いいえ。」
「ふーん…どっから洩れたかなぁ。まぁ、別にいいけど。」
「例の人を後宮に入れることにしたとか。」
「うんやられたよ。マナがここに来るのと引き換えに――ってどうせ翁のことだ。一部始終知っているだろう。」
「ひどく、脅されておりましたね。」
禁域の様子を探るなど大それたことをしているのだが、アーデルヒルトはさらりとそれを指摘し、アーシャーもさらりと流した。

「試合には負けたけどなめられっぱなしは性に合わない。」
アーシャーはその言葉に少し眉をひそめた。
「負けをお認めに?珍しい。」
アーデルヒルトは笑って返す。
「だって『彼』に似てるんだろう?」
「はい。まさに瓜二つ。」
「ほんと、あの女も上手くやったよ。『彼』を模ることが何より息子を守るすべだと心得てたのかもね。」

暗愚な王だった。
ただ、それを補って余りあるほど優しかった。

「『彼』の形を目の前にして私が壊せるわけない。だから、私は負けたんだよ。あの女にも、そして『殺戮の精霊王(イブリース)』にも。」

二人の脳裏に同じ姿が蘇る。
それを振り切るようにアーデルヒルトは口を開いた。
「でもやっと手に入れたんだ。私の愛し子を守る、『彼』の血を守る盾を。」


その声の揺ぎ無さに、この国を導くに相応しい覇気に、アーシャーは恭しく頭を垂れる。

黒衣の女神は静かに嗤う。

「もう、逃がさない。」
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