stray
27
「マリアさん。」
「なぁに?」
「ひとつ厚かましいお願いがあるんですが。」
「いいわよ?なぁに?」
「…内容聞かないうちに軽々しく了解しないでください。」
「で、なに?」
「あぁ、あのね―――」
「じゃあ、二人とも行ってらっしゃい。」
「本当に一緒に行かないんですか?」
「んー流石に今王宮の外に出るのはちょっとアレかな。痛くもない腹を探られるのは御免だしね。私の事は気にせず楽しんでらっしゃいな。」
残念だけどね、そういってマリアさんは朗らかに笑んだ。
傍らのリドは今日は軍服ではなく私服だ。
私達は今から王宮の外――王都へと降りる。
「明日には後宮(ハレム)に行くんだし最終的な準備でもしとくわ。」
正直な話、国の重鎮であるリドの急な休暇には色々問題があった。
気軽にお願いしたことが申し訳なく位労力を食う調整作業をリドは黙々とこなし、彼はやっと半日の休暇を勝ち取った。
「なんだか申し訳なくて。こんな時に王宮をあけるのかってまた宰相に文句言われちゃったし…」
マリアさんの誘拐未遂は結局リドに対する政敵の襲撃未遂として何事もなく流された。
その程度の政争、ここでは日常茶飯事らしい。
それもどうかと思うけど。
真実を暴露するわけにもいかず、マリアさんの為と説得され、私もあの件については二度と言及しないと誓わされた。
その後はリドは私を王都に連れていくための休暇を勝ち取るために、私とマリアさんは後宮(ハレム)への引っ越しのための準備に忙殺され、気付けば一週間だ。
なんとか後宮(ハレム)入りを明日に控えた今日、リドは休暇をもぎ取った。
マリアさんと行けないのは残念だがこの機会を逃すわけにはいかない。
私には今日が多分最初で最後の王都散策になる。
後宮(ハレム)とは本来主である王以外には出入りが厳しく制限される物で、王族と言えど気軽に境界線を越えてはいけないらしい。
そんな建て前もあるにはあるが、なにより私はある意味身売りをしにいく訳だからこれからは簡単に出られなくなる。
次に後宮(ハレム)を出るのはきっとお兄ちゃんが見つかって二人で向こうの世界に、家に帰る時だ。
「じゃあ…いってきます。あ、お土産買ってきます。」
「はい。行ってらっしゃい。」
マリアさんに見送られ、私達は邸を後にした。
******
王宮と王都を隔てるのは空との境界を見ようと思ったら首が痛くなるほど高い白亜の壁だった。
民間人も割合に入って来やすいという外宮から続く石畳はその壁に穿たれた外界と王宮を繋ぐ大穴――重厚な鉄門扉を持つ――に続いていく。
寸分の迷いもないリドの歩調に合わせ、小走りにそこへと向かった。
「うわぁ……!!!」
一歩門をくぐり外に出た瞬間、感嘆符が口から漏れる。
山の頂上に鎮座する王宮からは麓に広がる王都が一望できる。
視界いっぱいに広がる雑多な色を孕み、それでも尚、整然と碁盤の目状に並ぶ家々の屋根。
芥子粒程の点々がその屋根の隙間を縫い動き回る。
真っ直ぐ伸びる目抜き通りの両脇に連なる店舗や屋台。
そして、その大通りに沿って視線を動かせば正面にはまるで白亜の王宮と対をなすように鎮座する黒い山。
「火山……?」
よく見ればその頂上からは立ち上る煙が確認できた。
「火山?」
隣で怪訝な声がした。
「火山じゃないの?」
「火山とは何だ?」
「知らないの?!あれ…?こっちでは別の言葉でいうとか…?噴火する山ってなんて言うの?」
「噴火…山が火を噴くのか?」
「むしろ噴かないの?」
なんだか会話が噛み合っているようでいない。
噴かないわけはないだろう。
煙吐いてるし。
「あれは大陸の臍だ。原初世界は一面海だったが地中で生まれたとある精霊王(イブリース)が海底を持ち上げあそこから出たと言われている。その精霊王(イブリース)が初めて触れた大地だからこの当たりは豊かなのだ。」
とてつもなく微妙な話だった。
その精霊王(イブリース)がマグマを神格化したものと言うならばあちらの世界と一緒でただの神話で済むのだけれど、この世界には実際に精霊(ジン)と言う存在が在るわけで――
「まぁ、兎に角記録にある限りでは噴火した事は無いわけね。」
そりゃそうか。
しょっちゅう噴火する山の側に都は造れないよね。
一応納得をして私は石畳の下り坂を一歩踏み出した。
王都へと下りるに従い人が増えてきた。
そして目抜き通りへたどり着く頃にはそれこそ朝のラッシュ時の駅ホームと、もしくは年末のアメ横とみまごうばかりの人出だった。
気を抜けば直ぐにその波に溺れそうで、連れが他の人より頭一つ分大きいから見失う心配がないのが唯一の救いである。
別に何か買い物をするわけでもなく通りの店を冷やかし、見慣れない物については説明を求め、私達は歩いた。
暫く歩いて午後には仕事に戻らねばならないリドに合わせて少し早めに食堂っぽいところで昼食を取った。
「やっぱりマリアさんはすごい人だね。本職の料理人が作ったよりずっと美味しいもの作れるなんて。」
しみじみとそう思う。
食文化の違いを別にしてもここの食事は味が濃すぎる。
マリアさんの食事は最初からずっと美味しく感じられたのに。
「……」
リドは無言で頷いたり一言二言口を挿んだりしながらも基本は私がしゃべるに任せている。
別に不機嫌なわけではないのはわかっているけどさ。
「リド、今日は忙しいのにごめんなさい。」
最後の一口を水と共に流し込み、フォークをおく。
「礼をしたいと言ったのは俺だ。」
想像通りのつっけんどんな物言いに苦笑を浮かべつつ席を立った。
彼は今日、何時もの仏頂面のままではあったものの、首尾一貫して私の行きたいところに連れて行って知りたいことを教えてくれた。
リドなりの謝意の表し方なのだろう。
「でも、なんか高いもん強請られてそれで終わりの方が楽だったでしょ?それにリドは私の主(マスター)なんだから別にお礼なんてする必要はないんだし。だからやっぱり有難う。」
だってリドはお金はあっても時間がない人間じゃない?
リドは顔面の筋肉を殆ど動かさないまま、眉間の皺だけを深くした。
怒っている訳ではなさそうだから、照れているのかもしれない。
「…行くぞ。あと半刻もしたら城に戻る。」
「あ、マリアさんにお土産だけ買いたい。」
先に歩き出したのは私なのにリドは悠然と追い抜いていく。
もうコンパスの差を考えるのも虚しくて、私は足の回転を早めた。
「金は…」
「あるよ。」
もらいもんだけど。
出かける前にマリアさんは私にお小遣いをくれた。
私が、買いたいものがあるといったら、ポンと出してくれた。
此方の貨幣の価値なぞ解らなかったのだけれど、いざ市場に出てみて結構な額を貰ったのだと判明する。
お土産に花売り娘さんから花を買っても残高は殆ど変わらない。
私が買いたかったものの一つはマリアさんへのお土産。
そしてもう一つは――
帰りは混雑を避け裏道をと大通りから路地へと回る。
目抜き通りとは違い薄暗い底には何やら怪しげな出店がポツリポツリと商品を広げていた。
客引きの声など聞こえていないように淀みなく進むリドを追いかけつつ、好奇心の赴くままに視線を走らせる。
どこもかしこもチープで怪しげな物が溢れていてなかなかに興味深い。
ここならもう一つの欲しかった物も見つかるかもしれない。
「リドっちょい待って!」
そんな中一つの出店の商品がやけに目を引いてリドを呼び止めた。
別にその他の店と大した代わりはないのだけれどそれでもそこの商品だけに何かを感じる。
店主の中年男性は足を止めた私に向かい僅かに笑ってみせるといっらっしゃいと掠れた声で言った。
「装身具と、香か?」
リドが商品を一瞥して言う。
怪しげな香木らしき物と、宝石と言うよりはガラス玉に見える石を填めたアクセサリーがそこの売り物だった。
安物だなと斬って捨てられたそれはそれでも不思議と心惹かれるものがある。
多分私が強請ればもっと良いものを買って貰えるんだろう。
でも別に高いアクセサリーが欲しいわけではないし。
「いや…なんかコレ…」
直感がこれだと告げるのだ。
「お嬢さんはお目が高いようですな。」
行くぞ、と促される言葉にずるずると反抗していると、髭面の男は破顔した。
「ただの品では御座いません。これらはアガシオンを入れる為の呪具なのですよ。」
アガシオン、というとゲイルさんのネックレスみたいなものだろうか。
しゃがみこみ、幾つか手に取ってみる。
見なくても頭上でリドが胡散臭げに顔をしかめたのがわかった。
「私はつい先日まで魔術師だったのです。魔具や呪具の類を商っておりましたがここ最近、どうもその力が弱まったらしく上手く精霊(ジン)を呼べなくなりましてね。」
魔術師を廃業しようと思ったのでこれらを売りに出したわけですよ。
男が乾いた声で笑う。
私もそれに苦笑で答えた。
これはどう考えても私のせいだろう。
多分私が帰ればこの人もまた精霊(ジン)を呼べるようになるだろうけど、一時とはいえ、職を奪ってしまったのは正直申し訳ない。
何よりもう心はこれを買おうと決めていた。
私はなるべく落ち着いた感じの、安っぽく見えない装飾の耳飾りを手に取った。
黒い小さな石がそれぞれ一粒ずつ金(メッキかもしれないけれど)に縁どられている。
「黒曜石だな。」
今日は私の解説役に徹すると決めたらしいリドが簡潔に言った。
そして私は聞き覚えのある単語に幾分ほっとし、この小石に親近感を覚える。
黒く艶やかな石はその色故に他の安っぽいアクセサリーとは違う印象を受けた。
うん、これでいいや。
「お嬢さん、もしかして魔術師になる気かい?」
「いいえ。…そんな簡単になれるものなんですか?」
「素養があればだね。簡単な呪文と呪具さえあればジャーン程度とは直ぐに契約出来ますよ。ただ、高位の精霊(ジン)は矜持が高いからね、そうゆう質素な魔具には宿りたがらないよ。」
まあ、ゲイルさんの首飾りだって見るからに高価そうだしね。
「只の記念です。これおいくらですか?」
お嬢さん可愛いからおまけしてあげるよ、と言われ提示された金額に少し眉を顰める。
手持ちで足りない訳ではないがさっき買った花束に比べて余りに高価過ぎる。
「…買わないのか?」
「買うよ。」
頭上から降ってきた怪訝そうな声に促され財布を取り出した。
まぁ、お金の出所がこう言ってんだしいいか。
お金を払いおじさんに別れを告げ、その後は大して気を引く店も無く王宮にたどりついた。
「俺はこのまま仕事に行くがここからなら帰れるな?」
見覚えのある景色まで来るとリドはそう言った。
「あ、待って。」
遠ざかる背中に声をかける。
「うち、ピアスあけると退学だから。」
さっき買ったのはピアス。
おじさん相手に罪悪感を感じて買ってしまったはいいけれど私にはつけることができない。
おじさんが商品を入れてくれた小袋ごとリドに向かって放り投げた。
「今日面倒かけたし、お礼。」
少しだけ驚いたような表情は、けれどすぐに鉄仮面の下に消えた。
「……元々、金の出所は俺だろう。」
「リドにしたら安物だもんね。別につけてもらわなくてもいいよ。」
なんなら捨てられたって構わない。
ただ――
「何かあげときたいなふと思っただけだよ。」
「…形見分けか?」
「お兄ちゃん見つけるまで死ぬ気はないよ!!!」
リドが小袋を開けた。
中から一対のピアスを掌に出して片方をつまみあげた。
「片方だけもらっておく。」
「…は?」
「“証し”ならば片方はお前が持っておけ。」
「俺は魔術師ではないからな。精霊(ジン)とは契約できないぞ。俺とおまえの契約ならば――まぁ、この程度でいいだろう。」
言葉をなくしたのは、心の内を見透かされてたからだろう。
ただ瞠目するしかできない私をよそに手を取られ、ピアスの片方がにぎらされる。
精霊(ジン)が宿る魔具の格はそのまま中のアガシオンの格だという。
だから、低級な精霊(ジン)しか操れない魔術師は必要以上に呪具を飾り立てるし、高位の精霊(ジン)は自分が宿るのに相応しい魔具を契約者たる魔術師に与える。
私には関係ない話だと思っていた。
だって、私は人間だから。
けれど、精霊(ジン)であることを盾に後宮(ハレム)に行くことになった今、考えたのだ。
これから先、精霊(ジン)として利用されるというならば、私の使役者はこの人であるべきだと思う。
そして、精霊(ジン)としての私が、私という精霊(ジン)に見合う価値のものを渡すとしたら、それは煌びやかな宝石でも何かすごい力を持ったものでもなく、まるで石ころみたいなものだろう――
リドはそのまま立ち去り、私の手の中には片方だけのピアスが残った。
********
「いらっしゃい!!!これからよろしくねマナ!!!!」
花は羞じらうどころか地に潜り、月はかくれるどころか砕けよう、という程の笑顔でクッションに凭れるシンシアは言った。
手招かれ、膝をついてそばに寄れば抱きよせられる。
「大変だったわね。でも、もう大丈夫よ。ここにいる限り、私が守ってあげるわ。」
「うん…頼むね。」
私を抱きしめたまま、シンシアは私の肩越しに、後ろのマリアさんを見上げる。
体を硬くし、異母兄弟の初対面を私は見守るしかできない。
「ホンっっっト、話には聞いてたけど似てるわね。」
「えぇ、よく言われます。」
二人の対面は想像よりずっと穏やかなものだった。
似ている、というのは二人のお父さんのことだろうか。
まぁ、いいわ。とシンシアが笑う。
涼やかな声が耳にこそばゆい。
「荷物は離宮にあるわ。そこで生活してもらうけど構わないわね?」
「お気づかい感謝します、姫。」
「気にしないでいいわ、マナを頼むわよ兄様?」
流石にマリアさんの笑顔が凍る。
「姫…流石にそれは…」
「いいじゃない?私だって“お兄ちゃん”が欲しいのよ。」
洒落にならないのは承知でそれでも私は少し笑った。
私の笑い声にシンシアは満足げに頷き、そしてふと私の耳に目を止める。
「なに、この安物。」
流石お姫様。
怪しげな露店で購入したものはお気に召さないらしい。
「いやぁ、ホントはあけたら停学なんだけどねぇ…」
片耳の耳たぶ。
まだ少しジンジンするそこにある黒石に指先をやった。
Copyright (c) 2008.12.22 Utsuro All rights reserved.